新屋英子『身世打鈴(シンセタリョン)』東京公演

関西新劇界の重鎮・新屋英子さんのひとり芝居『身世打鈴(シンセタリョン)』の東京公演に行ってきた。というと渋谷か新宿か銀座か六本木かというイメージがあるが、会場は「くにたち市民芸術小ホール」。しかもその地下スタジオ。キャパ60。規模としてはライブだね。

 身世打鈴とは身の上話のこと。80歳を過ぎた在日オモニ(おっかさん)が15歳で来日してから現在までの半生を時にしみじみと時にはユーモラスに時にパワフルに観客に語りかける。廃品回収を生業としているオモニの仕切り場を観客一人一人が訪ねていったような趣向になっている。1973年初演のロングランだ。

 貧困に耐えかねてやってきた日本でのさらなる貧困、差別、太平洋戦争、朝鮮戦争、南北分断・・・・。それらの中での「身世打鈴」と言うと、イデオロギーが前面に出た堅苦しいものじゃないか、ご高説を拝聴するような感じなのではないか、というような先入観もあったのだけど全然全然。イデオロギーどころか、時に場内は爆笑の渦に包まれる。僕も笑いすぎて腹が痛くなったほどだ。湿っぽくない、カラっとしてるのだ。「ちゅらさん」の「オバア」をちょっと思い出す。

 狭い会場だけに演者の息づかいまでもダイレクトに伝わってくる。時に客イジリもある。そう、ちょっと漫談みたいな感じもある。長男・虎太郎(仮名・中二)と現地集合で待ち合わせて行ったのだけど、虎太郎は場内唯一の若者ということでオモニの格好のイジリの対象となってしまいドギマギしていた。
 とにかく、笑い、感じ、そして考えた、あっという間の70分間だった。不思議な充足感が残った。

 終演後は大学通りまで歩いて「万豚記(わんずーし)」で夕食。「角煮らーめん」「牛肉煮込みらーめん」「棒餃子」を食べながら虎太郎と、「やっぱ戦争は最悪の結論だよな」などと素朴な感想を述べ合った。