「せきや資料室」と祖父母の写真

banka-an2003-11-21


昨晩、ボジョレー・ヌーボーのパーティーで泣いたと書いた。
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 昨日の会場の「せきやホール」には「せきや資料室」が併設されている。

 昨日も書いたように「せきや」さんは国立を代表する酒屋さん、というより国立を代表する商店だ。オーナーの関家はもともと谷保に400余年続く旧家(その前は愛知の関の鋳物師だったという説もある)だ。何も無い雑木林に、箱根土地会社(西武の前身)によって国立の町が作られたのが、大正末年である。その工事関係者に荒物やお酒を供するために何も無いところにお店ができた。それが「せきや」の始まりだ。創始者は現在の社長やマスオさんのおじいさん、喜太郎翁だ。
 その「せきや」の移り変わりの写真や使っていた大八車、レジスター等の貴重な資料、そして初代の息子である関頑亭先生、敏先生の彫刻作品が展示されているのが「せきや資料室」だ。話には聞いていたが入ったことはなかった。

 コンサートの途中でトイレに立った僕は、トイレの帰りにちょっと酔い覚ましに入ってみた。中には上で述べたような貴重な資料が並んでいて、民俗好き郷土史好きな僕はすっかり興奮してしまった。そして今まで何度も拝見してきたが、両先生の作品に改めて感動してジーンとなった。

 資料室のすみに小ぶりなガラスケースがあった。その中には数葉の写真が曖昧に並べられていた。なんのキャプションもついていない。いわゆる「撮影場所および年月日不詳」というやつだな。どれどれひとつ素人鑑定を、と覗き込んだ。


 あ、じいちゃん・・・・、ばあちゃん・・・・・

 僕の祖父母だった。初代・喜太郎翁と谷保天満宮の先代の宮司さんに挟まれている。
祖父は黒い背広にソフトをかぶり少し前かがみでステッキを持って立っている。祖母は着物を着て賞状をこちらに向けて開き、小首をかしげておすまししている。背景は谷保天満宮。時代は昭和38年のはずだ。
 
 僕はこの写真をよく知っている。うちにもずっと飾ってあった写真だ。賞状もよく覚えている。額に入れてずっと飾ってあった。書き出しが「貴殿は敬神の念、篤く・・・」と言う文言で、こどものころ「篤く」を「おどろく」と読んで笑われたことがあった。

 この写真にはもう1テークあって、それは祖父母のツーショットだ(もちろん展示はされていない)。これも我が家に額に入れてずっと飾ってあって、今は縮小して父母の家にかけてある。
 二年前、サックス奏者の中村誠一さんの一派と国立嵐山組のジョイントで谷保でスケッチ会を開いたことがあった(興味がある方は僕のホームページからリンクをたどって誠一さんのホームページに行ってみてください。誠一さんが詳細なレポートを書いてます)。その時も2枚目はその写真をモチーフに描いた。時間切れで未完に終ったけど・・・・。下手糞で恥ずかしいから極小画像で。
 
 ああ、また続きは明日!!