ぬけがらと小鍛冶

 近所にお住いの仲良しのエッセイスト・羽生さくるファミリーからチケットをいただいて、小平駅前の「ルネ小平」で開催された「新春 能・狂言鑑賞会」に行って来た。さくるファミリーで行くはずだったのだが、ご子息てるくんの少年野球のビッグ・イベントと重なり、浮いたチケットをいただいたのだ。貴重な機会をいただき、感謝。

  さくるファミリーは4人、蕃茄ファミリーは5人。5−4=次男・三吉(仮名・小一)はおじいちゃんの家で名誉の留守居役となった。


  演目は、狂言が人気絶頂の野村萬斎で「ぬけがら」。
  能が大村定で「小鍛冶」。

  あらすじを説明すると、
 
「ぬけがら」・・・・使いを言いつけられたのに酔っ払って途中で寝てしまった太郎冠者を見つけた主(あるじ)は、こらしめに鬼の面をかぶせて帰る。冠者は起きて水を飲みに行き、清水に顔を映して鬼になったと思いこむ。帰宅した太郎冠者を「鬼は出てゆけ」と主は追い出す。嘆き悲しんだ冠者が清水に身を投げようとしたとたんに面が脱げる。太郎冠者は急ぎ戻って主を呼び、「鬼の抜殻がござる」とさし示す。 で、いつもの「やるまいぞやるまいぞ」となる・・・・。

「小鍛冶」・・・・帝に御剣を奉れとの命を受けた小鍛冶の宗近、困ったことに製作のパートナーたる「相槌」がいない。そこで宗近は稲荷に参詣し、神のご加護を祈ったところ、童子が現れ日中の名剣の例を引いて剣の徳について語り、宗近に安心して準備にかかるよう告げて消え失せる。宗近が鍛冶場で用意万端整えて待っていると霊狐が現れ相槌を勤めて、立派な剣を作ることができた。

  「ぬけがら」の太郎冠者は人気絶頂の野村萬斎さん。舞台に出ただけでパァッと明るくなるスター性がさすがだ。酔っ払って主をヨイショするとこらなんか実に洒脱で面白い三枚目ぶり。それに何をやっても美男だから色気がある。対する主の石田幸雄さんもよかったなぁ。声がよくて貫禄があって、愛嬌があって。僕のような門外漢はどうしても少数のスタープレイヤーだけに目が行きがちだか、この世界は凄い芸能者がたくさんいるんだなぁと思った。


  「小鍛冶」も面白かったなぁ。あの能役者の動きって言うのはなんだろうね。凄いなあ。

  我が家ではローザンヌのバレエコンクールを毎年楽しみに見ているのが(もちろんTVで)、その中でかつての辛口解説者のクロード・ベッツィさんがいつも厳しく評価しているのが「足先まで神経を使っているか否か」だ。例としてはふさわしくないかもしれないが、能役者さんたちの動きは「足先まで神経」が行き渡って全く無駄がないのだ。

  特に「童子」が「霊狐」に変わってからがよかった(ともに大村定さん)。キンキラの衣装をきて舞台に現れたとたん、その神々しさに場内の1300人が一斉に息をのむ音が合わさって凄い「気」みたいなものになっていた(歌舞伎の方ではこれを「ジワ」という。ジワッと来るからね。能狂言ではなんと言うんだろう)。

  若い頃は狂言の方がずっと面白かったけど、だんだんに能のよさがわかるような気がしてきたのは年齢のせいかな。

  そうだとしたら年をとるのもまんざら悪いもんじゃない。