立川志らく「シネマ落語・ベニスに死す」

今日は、国立演芸場で開催の立川志らくさんの独演会「志らくのピン」 Part2に行って来た。立川志らくさんは談志門下の俊才。シネマ落語と言って、古今の名作映画を落語に翻案するという活動を続けている。

 この「志らくのピンPart2」 では、毎月各界の著名人がプロデューサーを務め、いろいろな試みをするという趣向になっている。今回のプロデューサーは女優の吉行和子さんだ。

 今回も志らくさんのブレーンでこのシリーズを企画している、講談社の名編集長・元木昌彦さんに声をかけていただき、伺うことになった。

 演目は「シネマ落語・ベニスに死す」。ご存知、ヴィスコンティの名作を落語にしちゃおうというのだ。

  同行は長男の虎太郎(仮名・中三)。たまたま今回は開催が日曜日だったので連れて行った。前も書いたが僕の主義として「非才ならばせめて洒脱な精神を」がある。つらい人生も、洒落がわかれば大抵乗り越えられる。そんなわけで虎太郎には落語に触れさせたいと思っているのだ。
             
いや僕自身がそうで、常に落語に助けられてきたから本当にそう実感するのだ。

 虎太郎にとって「志らく体験」は2月21日、家の近所で開かれた「くにたち寄席」以来2度目だ。
僕は基本的にドケチだがこういう出費は厭わない。「夏季講座」とか言われると「そんなの必要なのかよ」って言っちゃうけどね。


 映画の「ベニスに死す」についての解説はいるまい。名匠・ルキノ・ヴィスコンティの傑作だ(1971)。今世紀初頭(多分)のベニスを静養のために訪れた老作曲家(ダーク・ボガード)が、投宿したホテルで見かけた美しい少年(ビョルン・アンドルセン)に心を奪われ、魅入られ死に至るまで言葉ひとつ交わすことなく少年を追い続ける恍惚と苦悶を描いた作品だ。

 たしかに、この映画のビョルン・アンドルセンは実に美しい。本当にこの世のものでないくらい。顔から体型まで「このようなものを作るとは神も器用だ」と見るたび思う。

 世の中に同じ顔をした人は3人いるという。この人を見ているといつも思う。「あと一人はどこにいるのだろう?」(すみません)。

  さて、「ベニスに死す」の、その耽美的な世界を志らくさんと吉行さんは、どう落語にしていくのだろうか?

と、国立演芸場に乗り込んだ。


 前座さんに続いて志らくさんが与太郎噺の定番「道具屋」、大ネタの「柳田格之進」を演じて中入り。志らくさんのシネマ落語の常として、前半の古典が後半のシネマ落語のネタ振りになっているので要注意だ。


  中入り後は明かりがつくと上手(かみて)に着物姿の吉行さん。童女のように可憐で可愛らしい。吉原の風景を朗読する。ということは、「シネマ落語・ベニスに死す」は、廓噺か? たしかに爛熟のリゾート地と吉原、「異界」ということでは大いに共通点がある。

  あまり書くとネタバレになるのでやめておくが、先に書いたように、「道具屋」「柳田格之進」が伏線になっている。その二つの噺の主人公が、「シネマ落語・ベニスに死す」の主人公になるのだ。って聞くと「気持ち悪るー!!」という感じだが、ご安心を。志らくさん、吉行さんはそんな野暮なことはしない。うまく「洒落」を効かして料理していて、感心しつつ大爆笑だった。


  場内には今回の企画で吉行さんのサポートをされた作家の吉川潮さん、吉行さんの親友・冨士眞奈美さん、吉行さんのご母堂・あぐりさんがおられた。お三人とも僕にとって大好きな尊敬する憧れの人なのでドキドキしてしまった。