松田哲夫さんとはかれこれ15年くらいのつきあいになるだろうか。
初めてあったのはいつだったのだろう、よく覚えていない。『編集狂時代』の親本が出たのが94年で、その出版パーティーのことはよく覚えていて、パーティーに呼んでもらったぐらいだから、そのころはすでに結構、親しかったのだと思う。
なぜ、初めて会ったのがいつかわからないかというと、初めて会った時に「初めて会ったような気がしなかった」からだ。
なぜ、初めて会った時に初めて会ったような気がしなかったかというと、とってもよく似ているお兄さん(松田哲夫さんの実兄)とずっと以前から親しかったからだ。
お兄さんの隆夫さんと初めて会ったのは僕が15,6歳の高校一年生の頃だった。
隆夫さんは国立市の東端、国立7小の近くに住んでいた。ふとしたことで知り合い、始終遊びに行っては入りびたっていた。晩ご飯時になっても帰らずに食わしてもらっていたりもした。
隆夫さんは某高校の先生だった。僕は教え子だったわけじゃない。学校は介してないつきあいだった。
高校生と高校教師が友達になるなんてちょっと考えにくいかもしれないけど、当時の国立では大して珍しいことではなかった(ような気がする)。
夫婦ともに気さくな松田さんの家はいつも多くの人が出入りしていた。
みんなでワイワイやっていたときに選挙の話になって、誰かが
「そういえば松田さんの弟さんがノサカさんの選挙参謀やってるんだよな」
と言ったのをよく覚えている。すげぇ弟さんがいるんだなぁと思った。
また隆夫さんが、
「ウチの親父がさあ、古新聞をやたら丹念に集めてるんだよなあ。それが実家で溢れちゃっているんだよ」
とぼやいていたのも覚えている(その新聞のエピソードは弟・哲夫さんも『編集狂時代』に書かれている)。
それから幾星霜・・・・。弟・哲夫さんと知り合って、最初に訊いたのが、
「お顔がよく似たお兄さんがいらっしゃいませんか?」
だった。それに対して哲夫さんの答えは、
「いえ、兄とは全然似ていません」
だった。でもホントは凄く似ている。ヒゲまで似ている。だからこそ、初めて会った時も初めての様な気がしなかったのだ。
その後は「ガロ系」の集まりでご一緒したり、嵐山組の銀座俳画展に一緒に出品したりとお会いする機会も多くなった。
3,4年前、「王様のブランチ」の取材で哲夫さんが国立の絵本専門店「ペンギンハウス」を訪れた時は、僕が少しだけ「暗躍」した。製作会社に同店を推薦し、取材時は丁度子供づれのお客が少ない時間帯だったから、知合いの子持ちの女性を仕込んで、店の中をうろうろしてもらったりして盛り上げた(あの時はありがとう、ベティさん&みきのすけさん)。
松田哲夫さんは最近、電子出版の会社の社長に就任された。もちろん筑摩書房専務としても辣腕を振るわれ、エッセイストとしても健筆を振るわれている。健康に気をつけて、これからも面白いことをどんどん仕掛けて、僕たち読者を楽しませて欲しいと思っている。