すべてが過剰な夜

などと落ち込んでばかりはいられないのである(昨日の続き)。立ち直りが早いのと深くものごとを考えないのが僕のイイところである(イイところか?)。

  今日は映画監督でもある立川志らくさんの監督・脚本・音楽・主演映画「不幸の伊三郎」上映会に行ってきた。築地本願寺の中にあるブディストホールにて。

  この映画はインターネット公開を前提とした映画でこの上映会はスペシャルなものだ。

  チケットは出演者の柳家一琴師匠を通じて購入させていただいた。実は一琴師匠とは2月のくにたち寄席以来、メル友なのである。


  ストーリーはパンフレットに曰く、「愛娘より若い後妻をもらった中年男伊三郎。彼のなんともついていない不幸続きの一日をナンセンスギャグのみで描く物語」とのこと。面白そうだ。

  
  今回の上映会はなかなか盛り沢山なものだった。まず志らく師のシネマ・トーク。映画を題材にした漫談で、撮影の裏話などで場内を盛り上げる。

  続いて、それと、今年二月に開催された志らく師のニューヨーク公演の模様が収められている「志らく・ニューヨーク落語公演・ドキュメンタリー」(15分)が同時上映された。
  
  ご同行の一琴師匠がいい味を出している。紙切りが特技とは聴いていたがこのフィルムに納められているその妙技は“凄い”の一言。お客のリクエストに応えて「自由の女神」を切る。そこまではありがちなことなのだけど、女神の頭部だけを自分の顔の大きさに切るのね。でそれを例の黒い台紙に挟んで、それをお面にして顔の前に掲げて自由の女神のポーズをとる。ほとんど百面相の波田野栄一状態(古いねどうも)。


  続いて出演者のトークショーがあった。普通、ロードショー初日のトークショーとか言うと、テンポが悪くてファンでもなければケツが痒くて聞いちゃいられないんだけどこの一座は違うぞ。出演者は志らく師、志らく劇団の看板女優酒井莉加さんの他、立川談四楼柳家一琴、三遊亭楽春、と腕っこき噺家さんが揃っているのだ。トークに関してはプロ中のプロだ。場内大笑いだった。

  いよいよ上映開始だ。その直前に志らく師は言った。

「最後は監督自らお見送りしますから、途中で帰んないでくださいね!」

  映画のストーリーは上に書いたとおり。ごく短い回想シーン以外はマンションの一室のなかでストーリーは展開する。朝からほんの小さな不幸な出来事が積み重ねられていく。椅子で小指を打つ、切った爪がぶちまけられる、蚊に刺される、魚の骨がのどに刺さる、くさやが臭い、クーラーがこわれた・・・・。

  気がつくと映画を見ながらイライラしている自分がいる。映画が退屈だからイライラしているのではない、テンポ良く進んでいる。伊三郎さんの不幸というか不運というかストレスがこちらに憑依してしまったのだ。伊三郎さんは人間が出来ているからちょっと小言幸兵衛のようにグチるだけだが、こちとら未熟なので臨界点寸前だ。くぅ〜っ!!

  場面が夜になると一気に話は走り始める。談四楼さんが陽気なドン・コルレオーネのような貫禄とスゴみを見せ、一琴さんがいかにも今様の狂気を放出し、楽春さんが国籍不明のミラーボールのようなキッチュ感をキラめかせる。志らくさんを含めたこのすべてに過激、いや過剰な4人が揃ってからはもうノンストップだ。

  まるでジェット・コースターだ。見ている僕もさっき臨界点に達していたものがすべて笑いに昇華させられた感じでブレーキがきかなくなる。

  そう、すべてがちょっとずつ過剰なのだ、上記の過剰な噺家4人衆に加えて、ヒロインの酒井莉加さんも過剰に可愛く、娘役の奈賀毬子さんは過剰に迫力があり、息子役のらく八さんも美男故か過剰に情けない役を割り当てられている。

  それぞれの過剰さはそんなに大げさなものではなく、「よくよく見てみれば」程度に抑制が効いているものだ。でもその過剰に過剰が掛け合わされて凄いことになっている。それぞれの過剰さを、仮に「通常の2割増し」として数式で表すと、

1.2×1.2×1.2×1.2×1.2×1.2×1.2=3.583

つまり普通の映画の約3.5倍の過剰さとなるのだな(この計算ヘン?)。

   なるほど、さっき志らく師が「途中で帰んないでくださいね!」と言ったのがよくわかった。一気に相乗効果で沸騰するクライマックスを見なければこの映画を見たことにはならない。で、ありながら、何事も無い平凡な一日を描いた映画であると言うのも紛れも無い事実なんだな、これが。

  音楽も志らくさん。昭和40年代のカレッジポップスを思わせる叙情的なメロディだ。両親ともに音楽家である志らくさんは作曲もこなすのだ。


  帰りがけ、ロビーで一琴師匠に挨拶させていただく。メール交換はしていてもちゃんとお会いするのは初めて。国立市富士見台のファミリーマートでお弁当をお買い上げになる姿はお見かけしているが(上の銀のボタン参照)。高座姿は渋く貫禄があってとっても10歳近く年下には思えないが、素顔の一琴さんはお洒落で軽快な現代青年そのものだった。

  ところでこの映画、インターネット配信で見れる。2、3日うちに配信されるはず。そのときはあらためて、当日記でもご紹介します。