演出家・浅沼一彦

banka-an2005-02-16


で、昨日僕が絶賛した芝居、床嶋佳子主演「緑のかげのなかへ」である。

演出は浅沼一彦。

実はこの浅沼一彦、僕の中学時代の同級生である。

誤解しないでいただきたいのは、同級生が演出したから褒めたのではないということだ。本当に面白く、感激した。友達が関わったものを無条件で褒めるほど僕は人が悪くない。面白くないものを褒めて、お読みになった人が信じて見に行ったりしたら申し訳ないもの。

だから、なんか関わりがあって見に行ったけど、この日記に書かなかったコンサートや芝居や映画も結構あるのだ。この「緑のかげのなかへ」 は本当によかったのだ。

それはともかく浅沼一彦だ。中学1年2年3年と同じクラスだった。1学年1クラスの小さな学校ではない。1学年9クラスの大きな学校だ。毎年クラス替えがある。それなのに3年間同クラスだというのはかなりの偶然だと思う。9×9×9で729分の1だ。

中学生の頃は中原中也のような性格で行く先々でケンカをしているようなやつだった。大して強くもないくせに番長グループとトラブルを起こしたりと、ハラハラさせられっぱなしだった。


この日記の古い読者様であれば、「FM国立伝説」の話を覚えておいでだろう。高校生のドラゴンあきらが開局した海賊放送で、1975年の春にだけ存在した幻のラジオだ。

詳しくはこちらをご覧ください。「国立伝説」より「FM国立があった」

このFM国立騒動では、僕と浅沼のコンビは騒ぎを大きくした張本人で、思えば危ない橋を渡った。

高校は別々の高校へ行った。中学のときから演劇を志し日大芸術学部に狙いを定めていた彼は日大の付属校を経て、日芸の演劇科に入った。その間も始終会ってはバカッ話に興じていた。

そして、もともと演出家が目標で日芸に入ったのに、演技の経験がなければ!と、こともあろうに文学座の試験を受けた。そして難関を勝ち抜いて合格。でもせっかく入った大学を中退してしまった。渡辺徹の一期後輩ぐらいだったかな。

僕もずいぶん彼の芝居を見に行った。研究公演はもちろんのこと、北村和夫の「オセロー」の戦勝に沸く群衆、杉村春子江守徹の「近松女敵討(鑓の権左)」の捕方・・・・。前田美波里の「奇妙な果実〜ビリー・ホリデー物語」のカウント・ベーシー楽団のマネージャーは見損なったんだったな。

その後、演出家に転じてからはなかなか姿を見る機会は無かったが、紀伊国屋ホールなどに貼ってある地人会のポスターの「演出助手」に彼の名前を見つけ、「ああ、元気で活躍しているようだな」と思っていた。


なにはともあれ、このような立派な芝居の演出を任せられるとは大したものだ。公演プログラムを見たら麗しの床嶋佳子さんと対談なんぞしている。

・・・・・・生意気な ! !

公演は20日まで。