路上団扇の存在

banka-an2005-07-15

炎天下、久し振りで魔都・神保町へ。根が吝嗇なのでそれほど財布は開かないし、腰が弱いので荷物はそれほど増えないが、時間だけは際限なく過ぎていく(一番イヤな客だね)。

キムラヤの角で団扇をもらう。団扇と言っても丸く刳りぬいたボール紙の隅にこれまた小さな丸い穴が開いているだけのもの。サラ金屋さんのものらしい。扇ぐ。別に涼しくなんかならない。歩きながら扇ぐというのは存外、エネルギーを要する。


観光地の土産物屋にある木刀。「箱根」とか銘を彫られて店の入れ口近くの筒に無造作に十数本突っ込んである。あの木刀の存在を「観光客が1,2回素振りをするために存在する」と看破したのは山上たつひこである(原典・「湯の花親子」)。


街角で配られる団扇、いわゆる路上団扇(いわゆらない、いわゆらない)も似ている。皆、受け取った直後に2、3回扇ぐが思いの外涼しくないので、以降はただ持っているだけ(あるいはバッグにしまう)。

つまりヤツは2、3回扇いであとは持ち歩くためだけの存在なのだ。ちとかなしいなあ。さらに行儀の悪いやつにあたると道端に捨てられてしまう。


木刀の1,2回に比べてれば回数が多い分、マシなのかもしれないが、それは単に軽いから。やっぱり路上団扇の存在は耐えられないほど軽いのである。