27年ぶりの再会

地下道で見た謎のお武家様の件はまた明日、ご報告。


今日は一日中、眠かった。GW明けだというのもある。でも昨日は月曜に疲れを残さぬための調整日としておとなしくすごしていた。「功名が辻」も見ずに8時過ぎには床についたのだ。

それなのに日付が変わる直前、はからずも叩き起こされた。テレビを見ていたツレが奇声を上げたのだ。


「あぁ!!おとうちゃんの!!」


テレビでは「NHKアーカイブス」が流れていた。プログラムは『NHK特集「24時間定点ドキュメント 成田空港」』。1979年(昭和54年)5月21日の放送である。

当時は成田空港が開港して一年。番組は、土地を守る闘いを続ける農民たち、空港を支える人たちの働き、外国からのビジネスマン、砂漠の国や南米へ出発する日本のエンジニア、また、ベトナム難民、ヒマラヤ登山や南の海へ出かける若者・・・。国際社会の中での「ニッポン」と「日本人」を成田空港を通して見つめるというものだった。

つまり、成田空港の1979年5月のある日の24時間をドキュメントしたものだ。レポーターは毒蝮三太夫頼近美津子。この微妙さがいいね。今で言えば渡辺正行膳場貴子がレポートするような感じかな。うん、微妙だ。

それはともかく、上記の「空港を支える人たちの働き」のVTRを、見るともなしにツレが見ていたときの事だ。旅客の手荷物の輸送管理の話題で、ベルトコンベアーで運ばれるたくさんのスーツケースの映像が流されたのだが、その中の一つがツレの父親(僕の義父)のものだったというのだ。

んな、馬鹿な。見間違いだろう?

「ううん間違いない。大っきなロス・ディズニーランドのステッカーを貼った茶色の小振りのスーツケースに黄と濃紺の縞のバンデージ巻いているの。その組み合わせは間違いなくお父ちゃんのよ」

ちょっと落ち着けよ。なんで大阪に住んでたおとうちゃんのトランクが成田にあるんだよ。

「アタシが借りてアメリカ旅行に持っていったのよ。んでロスのディズニーランドで大っきなステッカー買って斜めに貼ったのよ。それで大阪直行便のチケットが取れなかったんで成田行きで帰国してトランジットしたんだもの」

あ、あのスーツケースか! 覚えてるよ。新婚旅行の北京にも持っていったっけね。その後も香港、上海、韓国、台湾と持ち歩いて、10年前に虎太郎といった上海の帰りに僕がキャスターを壊しちゃったんだっけな。でもさぁ、君が成田に帰ってきたのは本当に1979年5月なの?

「ホラ、この古いパスポート見て。ちゃんと1979年5月×日に成田に帰ってきたスタンプがあるでしょ?」

あ、ほんとだ。そうかー、でも不思議な感じだね。27年も前に知らないところでトランクがテレビカメラに撮られて放映されて、それがアーカイブになっていたなんてね。

「持ち主のおとうちゃんはとっくに死んじゃっているのにね・・・」


そういうわけで、件のスーツケースと共に行った旅の思い出や、今は亡き義父の思い出などを話すうちに、二人ともすっかり目が冴えてしまったのだ。


そういうわけで、今日は一日中眠かった。地下道で見た謎のお武家様の件はまた明日、ご報告します。