落研青春記 0 全国区の驚異

(昨日のつづき)

A御大からの呼び出しだと言う事以外にぜひ行きたい理由があった。それは落語研究会のOBの面々に会いたかったのだ。僕が姉妹サークルの歌舞伎研究会のOBだから面識がある、というだけでなく、実は僕は落語研究会にもいたこともあるのだ。


高校時代の僕はそれなりに面白い少年で、立て板に水で弁舌巧みというタイプではなかったが時に気の利いた警句を吐くと言う、明治文壇で言えば斎藤緑雨のような芸風でクラスでも一目置かれていた(なにも明治文壇で言わなくともよいが)。うそうそ、一目なんて置かれちゃいませんよ、目立たない少年でした。


とにかく、子どもの頃から落語は大好きだったし、じゃちょっと落語研究会に入って腕試しがてら修業してみようかと思ったのである。それが間違いだったのだ。


全国区の恐ろしさを知ったのは某候補者だけではない(って誰だよ)。やっぱりマスプロ大学(死語?)というのは凄いのである。面白い人が全国から集まってくるのである。


一昨日出演の初音家左橋さんのほか、僕の在学中にも、在学中から学生芸人としてテレビで引っ張りだこで、そればかりか「お笑いスター誕生」や「おれたちひょうきん族」の台本を書いていたような植竹公和先輩もおられた。そういう全身お笑いの筋肉みたいな人達が、楽屋、じゃなかった部室で跳梁跋扈しているのだ。自分の小ささのみを思い知る毎日で、一年で退部してしまったのだ。


でも「前座修業」がつらくてやめたと思われるのは業腹。そこで夏休み頃には退部の意志を固めつつも、次年度の初年兵が入ってくる直前までは在籍していたのである。

では、その落語研究会での楽しい一年間の話を28年前を思い出しつつ物語ろうぢゃありませんか。


(明日に続く)