大掃除に揺れる心

ツレに自室の掃除を命じられた。家全体の大掃除をしろとは言わないからせめて自分の部屋だけ掃除しろと。なぜツレが「家全体の大掃除をしろ」と言わないかというと、ツレもしないからである。お互い若くないので万事無理はしないことに決めている。


で、自室の掃除である。この日記の読者様の共通の悩みであろうけど、諸悪の根源は「本」である。これが問題である。これを巡ってツレと攻防があるわけである。

ツレ曰く「なぜ、収納スペース以上の本を買うのか」と。「一台分のガレージしかないのに車を2台買うと罰金とられるのに、なぜ本はOKなのか」と。

クルマと比べられるのも業腹であるが、言ってることがすべてごもっともなのはわかっているのである。でも以前はわからなかった。「この程度の本というものは最低限の知的生活を営む上で欠かせないものなのだよ」と思っていたし言っていた。

今は理解できる。つまりダイエットと同じなのだ。消費カロリー以上に摂取カロリーが大きければ太るのである、理屈はどうあれ。同じように収納スペース以上に本を買えば、本は寝室にリビングに玄関にトイレにと侵食を続けるのである。

「とは言えこの程度の本は最低限の知的生活を営む上で欠かせない」なんていうのも笑止。ウエストサイズを気にしながら「だって美味しいんだも〜〜ん」と喰い続けているやつと同じなのである、それでは。

どうしても喰いたいのであれば、毎日何キロも走ってカロリーを消費するか、筋トレでもして基礎代謝を高めるしかない。同様に、どうしても本を買いたいのであれば、自宅のほかに書庫をかりられるだけのカイショを持てばいいのである。


つまりは「僕には無理」という結論を自ら出して、がっくりと肩を落として「散歩でもしようか」と玄関を開けたら、颯爽と自転車で通り過ぎる長身、長髪、口ヒゲの男性。書評家・コラムニストの岡崎武志さんだった。しばし雑談、「よいお年を!!」と別れた。

大掃除および本の整理で心が揺れた一日であったが、岡崎さんにお会いして心のぶれがおさまった。

「これでいいのだ」と本屋さんに向かった。本当にこれでいいのかどうかはまったく自信がないのだけど。