続・『すごい本屋!』はすごい本。覚え書き。

井原万見子著『すごい本屋!』(朝日新聞出版)の感想の続き。

著者の住む村(今は町だけど)を何も無い村だという人がいるそうだ(おもに若い人で)。でも著者は語る、「何も無いからこそなんでもできる」と。そう、この人の店づくりは町づくり、地域づくりにまで発展していくのだ。

この店を知った人は必ずこの店のシンパになり、それが連鎖していく。ちょっとしたこと小さなことがちょっとずつちょっとずつ大きくなりながら連鎖していく。まるで「わらしべ長者」のよう。

公共の交通機関はコミュニティ・バスだけの小さな村の小さな書店である。約20坪。100戸ばかりの村落の唯一の商店だから、地域の人の要望を容れて、タバコもパンもマヨネーズも醤油も塩もお菓子も置いている。

その店に多くの作家たちが訪れるようになる。まずは「はらゆたか」。言うまでも無いが、「かいけつゾロリ」で突出した人気を持つ児童読み物の大スターだ。そして今森光彦に宮西達也。それぞれサイン会、原画展、お話し会などに訪れた。ジャーナリズムからは永江朗都築響一。マニアックなところでは、当ブログに少なからずおられるであろう業界読者諸氏諸嬢ならムムムと唸るであろう青田恵一、佐久間文子などが取材に訪れた(一気に敬称略でご紹介したけどモレはなかったかな?)。皆、この店に惚れていくのだ。

もちろん、これら名だたる文人墨客が訪れたからといって、ただちに売上げが倍増するわけではないのは言わずもがなである。ましてや限られた商圏である。お客はそうはいない。

お客がいなければ、いるところへ行けばいいのである。だから軽ワゴンダンボールを積んでの学校周りや読み聞かせなどこまめに地道に行っている。すると、またしても「わらしべ長者現象」である。ロータリークラブが著者を通じての本の寄贈を申し出てくれる。

感心するのはここからである。こういうときというのは大抵、一律に全集ドカン!である。いやそれも決して悪くは無いのだが、ここは違う。会場にたくさんの本を集めて学校や幼稚園・保育園を招待し、自分たちに本を選ばせたのだ。

やるじゃないか、旦那衆!! 偉くなると大抵、お金を出したら口も出したくなるものなのに・・・、俺は惚れるね、その気風(きっぷ)に。さすが、紀伊国屋文左衛門の末裔(違うか)。

中学の卒業記念品に一律に中学生向け辞書を配った某市での事件、あえて名前は書かないが、立川と国分寺の間にあるという某市でおきた事例とはえらい違いである。この珍事件、「間違えました」で幕引きとなったらしいが・・・。あえて言わせてもらえば、これは「間違えた」のじゃない。本というものがどういうものなのか「何も考えていなかった」のだ。どちらが罪深いかは言うまでも無い。

とまあ、このように、忘れかけてたどうでもいいことまで思い出してメモ(覚え書き)するものだから、ブックカバーが裏も表もミミズが這ったような字でいっぱいになって、ほとんど「耳なし芳一」状態でございますよ。

BAL 展