9時からの「金曜プレステージ」で、中村勘三郎一家のドキュメントを見る。かつての花田家、そして皇室とともに家族の物語を公開している御三家の一だ。
森光子のナレーションが聞く人を不安定な気持ちにさせる不思議なものだったが、みてよかった。
僕がこの番組を見たのは、新聞の番組欄に「命懸け 病に倒れた89歳 最後の歌舞伎座へ」の惹句を見たからだ。
中村屋の話で「89歳」と来たら、ちょっとでも歌舞伎を見る人ならすぐにピンとくるだろう、中村小山三さんのことだ。先代から中村屋に仕えた大番頭、生き字引である。勘三郎さんがもっとも頼りにしている人の一人だ。
僕が大学生のころだから、もう30年近く前のことだが、小山三さんは請われて駿河台にある某・・・「山の上ホテルの隣大学(仮名)」の歌舞伎研究会のコーチをされていた。こういうケースは結構あって、跡見の歌舞伎研のコーチは福之助さんだったし、コーチと言うわけではないが、学習院には生き字引・小山観翁さんがついていた。
僕は近所の「飯田橋清貧大学(仮名)歌舞伎研究会」にいたので、「山の上ホテルの隣大学(仮名)」歌舞伎研究会とは交流があって、小山三さんのお姿もなんどもお見かけしている。
とてもお洒落な方で、当時すでに還暦を越えられていたと思うが、僕たちナウなヤング(当時)と変らぬスタイルだった。
そういうわけで、今日の自慢話は、
「生き字引、名伯楽と呼ばれる小山三さんに、“逸材”と言われた近隣の大学の歌舞伎研究会の部員、それは若き日の蕃茄山人」
というものである。
わが、「飯田橋清貧大学(仮名)歌舞伎研究会」では年一回、会報を出していたんだけど、ある年の号の裏表紙に中村歌右衛門の肖像画を描いたのね、僕が。それがやけにうまく描けたものだから調子に乗って各所に配ったのだけど、「山の上ホテルの隣大学(仮名)」歌舞伎研究会にわたったものが、小山三さんのお目にとまって、
「これは・・・、逸材だわねぇ」
と言われたと言う。山大のH君に後で聞いた。
別に芝居がほめられたわけじゃなくて、絵がほめられたわけですな。
あの会報、どこ行ったのかなぁ。また見てみたいなぁ。タイトルは「かべす」だった(あ、「かべす」ってのは「菓子・弁当・寿司」の頭文字で、芝居小屋での飲食のことね。
「幻燈展」は5月14日(金)から!!
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