夏の浪速の芸尽くし(3) 新世界「浪速クラブ」で大衆演劇

〔8月6日の日記 その3〕

腹ごしらえもすんだところで「浪速の芸尽くし」の第2弾。同じく新世界「浪速クラブ」の夜の部。数多ある大阪の大衆演劇の小屋の中で現役最古のものである。

ここも2,3回来たことがある。


空振りだったこともある。たまたま来たのが千秋楽の夕方で、最終日は昼の部のみというシステムを知らなかったのだ。

でもいいものを見せてもらった。なぜ最終日が昼の部のみかというと、大道具・小道具をトラックに積み込んで、次の巡業地に行かなければ行けないからだ。その時間に来合わせた僕は、役者さんたちがドーランも落とさぬままに、Tシャツ、ジャージ姿で手際よく荷物を積み込み、見送るファンたちに別れを告げて旅立つ場面を見せてもらって、感動したのだった。



大衆演劇を初めて見たのはいつだったかなぁ。多分高校生のころ。浅草にあこがれて通い始めてしばらくしたころだ。今もある木馬館。夏だった。最初は今のように素直に楽しめず、底知れぬ恐怖感を感じたことを記憶している。すごく危険なものを感じたのだ、「これ以上近づいてはいけない」と。

もちろん「近づいてはいけない」と感じたからと言って近寄らなかったら人生に意味はないわけで(極論)、その後、大学に入ってからもたびたび通った。

当時はT女子大のAちゃんだった女流義太夫三味線の鶴澤寛也師匠たちと行ったこともあった。


その妖しい舞台に感動したAちゃんは、帰りに寄った居酒屋でえらいことを言い出した。

「浅草木馬族を結成しよう」と。

当時、「竹の子族」というのが流行っていた。原色の珍妙な無国籍ファッションに身を包み原宿のホコテンで踊る若者たちである。

それに対抗して、大衆演劇の芸者や花魁や女郎や若衆の衣裳を着て妖しく舞い踊れば絶対、流行ると。

「危険を感じたからと言って近寄らなかったら人生に意味はない」のが僕の信条であるが、このときばかりは固辞した。危険すぎるぜ。


それはともかく2010年夏の浪速クラブである。相変わらず古い建物である。

僕が前に立ったのは夕方の5時ちょっと前。もう開場しているはずだが、何人かの人が劇場の前に屯している。

あれ? と思ってすぐそばのベンチに座っていたミニスカの女性に「もう、入場始まっていますか?」と聞いたら、

「ええ、始まってますよ」と教えてくれた、野太い声で。女性かと思ったら女装の人だった。となりに座る苦みばしった初老の男性とカップルみたいだった。


お礼を言って自販機でチケットを買う。1200円。ボタンがたくさんあってちょっと買い方に戸惑っていたら、件の女装の人が立ち上がって教えてくれた。ぼくより背が高かった。


場内に入ると揃いのTシャツのいなせなお兄さんが案内してくれた。前のほうやセンターよりは200増しの特別料金らしい。ただし座布団がつく。まよわずそれを選択する。

お客の入りは9分ほど。平日ながら満席に近い。年配客だけではなく若い女性客もいる。「簿記2級」のテキストを熱心に読む若い女性もいる。

ご覧のとおり定式幕も色褪せて古いには古いが、全体に清潔に保たれている(トイレもきれいだった)。


売店大衆演劇の情報誌「演劇グラフ」を買う。初見の雑誌。


客席で読んでいたら、「アイス食べる?」の声。顔を上げると、さっきの女装の人が僕の前の席で、傍らの“彼氏”に呼びかけているところだった。

いそいそとアイスを買いに行った彼女が戻ったところで柝が入った。



芝居の幕開きである。出演は三代目大川竜之介率いる「竜之介劇団」。


ってところで、続き、肝心のレビューは明日、か明後日、か明々後日。乞うご期待。


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