降矢奈々さんドキュメント全文 (立川経済新聞取材分)

■ 絵本作家になろうと思われたきっかけは何でしょうか?

○ 母親が画家だったこと、3歳の時から母の絵画塾に入っていたことなど、絵を描く環境に恵まれていたので、小さいときから絵を描く職業につきたいと思っていました。でも、絵本作家になることは、あまり考えていませんでした。直接のきっかけは、絵本の出版社で編集者をしていた叔母から、出版社に作品を売り込むことをすすめられたからです。最初に持ち込みをしてから一年後にはじめての仕事をもらいました。


■ 「手から手へ」展開催への思いを教えてください

○ 去年の東日本大震災原発事故のとき、私は今住んでいる中欧スロヴァキア共和国に居ました。朝、友人に言われて観たインターネットのニュースには、ほんとうに衝撃を受けました。津波に襲われる街や原発が爆発する瞬間にも大きなショックを受けましたが、その後、日本の中で起きていることが信じられませんでした。それは、たとえば、福島の子どもたちが、窓を閉め切った教室の中で、新学期を迎えている状況。子どもの被ばく線量が上げられたことなど、など。


○ 私は子どものための絵本の絵を描いています。絵本を通しての間接的な付き合いですが、読者の子どもたちが喜んでくれたら嬉しいなと絵を描いてきました。それが、今度の震災で、たくさんの子どもたちが理不尽な状況に置かれているというのに、私は何もできないのです。子どもが辛い状況にいるのに、絵本はそんな状況を変えてあげることもできず、何の役にも立たないと、落ち込みました。また、私は、26年前のチェルノブイリ原発事故にも衝撃を受け、あの頃は原発関係の本を読んだり、集会に出たりしてていました。なにの、その後、あの時の思いからまったくフェイドアウトして、今日まで、のほほんと暮らしてきてしまいました。そんな自分が情けなくて、悔しかったです。


○ そんな中で、いろいろと考えているうちに、思い切って友人たちにグループ展開催の打診をしてしまいました。私自身がまた同じ過ちを繰り返す可能性に怖くなったのです。同じ過ちとは、今回のことをだんだん忘れて、また今までと同じように暮らし始めてしまうことです。まず、今回のことを風化させたくないと思いました。


○ それから、絵がほんとうに役立たずなのか、絵は子どもたちを救えないのか、この質問に答えるためにも、絵の展覧会をしたいと思いました。もっと突きつめると、私自身、絵で何かできると信じたくて、それを表明したいと思ったのです。そして、なぜグループ展でなのか? こんな大災害・事故になると、大きな出来事や政治発表、専門家の分析ばかりが、海外へのニュースになります。 今この時、日本国内からの普通の人々の気持ちや考えを、日本の外に向けて発信したいと思ったのです。まず、私自身は海外に住んでいるので、それはできません。でも、私がこちらにいるから、こちらでの展覧会を準備できると思いました。


○ そして、ここで日本人だけで展覧会をするのではなく、こちらの人たちと繋がれるイベントにしたいと思いました。子どもたちの未来を考えた時、原発の問題など、地球規模で真剣に考えていく必要があると考えたからです。 まずは私から日本やスロヴァキア、チェコに住む友人画家たちに連絡しました。そして、その友人たちがまた友人を誘ってくれました。


○ また、絵本の仕事を通じて知り合った人たちにも声をかけ、協力を頼みました。そこから広がった輪が、今の展覧会メンバーと賛同者たちです。イタリアやスロヴァキアでも、この展覧会実現のために、協力してくださる友人や団体が現れ、ほんとうに嬉しかったです。最初に声を出したのは私かもしれませんが、今この展覧会は、参加者たちそれぞれの活動に支えられて動いています。みんなのこの意志無しに、私一人では実現不可能でした。今私は、展覧会呼びかけ時には、まったく思いもしなかった宝物をもらっているような気持ちです。


○ ただ、この展覧会で、観に来てくれた人々に何かを伝えることができているのか、今はまだわかりません。参加者だけが満足する内輪のイベントにならないようにしていきたいです。最初、展覧会で作品を売ることを私は考えていなかったのですが、参加者の中からその希望が出てきて、また、被災地ではまだ義援金を必要としているところがたくさんある現実なども考え、作品のチャリティー販売をすることにしました。作品の売上金は、すべて福島の子どもたちを支援する団体に寄付します。役立てられる機会があるのなら、役に立ちたいと思っています。



■ 「手から手へ」展の今までの開催地と開催期間を教えてください


○ イタリア・ボローニャ展: 2012年3月20日〜24日スロヴァキア・ブラチスラヴァ展: 2012年3月28日〜4月28日


■ 現地での反応はいかがでしたか?


ボローニャでは、期間中開催されていた「ボローニャ・子どもの本の見本市」の公式イベントに加えていただきました。なので、展覧会にはさまざまな国の絵本関係者や、子どもの人権を守る団体の方々、またイラストレーターの人たちが来てくださいました。これから先、子どもの未来を考える上で、絵本や絵がどんな役割をすることができるのか、問題提起できたのではないかと思っています。


ブラチスラヴァでは、会場が、国立の『国際子どものための芸術の家』になり、出版社やスロヴァキア郵政の協力を得ることができました。会場にはたくさんの子どもたちと学校の先生や家族がやってきます。会場にいると子どもたちがとても熱心に絵を観ていることに感心します。子どもがお父さんやお母さんと話をしながら絵を観ている家族も多いです。何かが伝わってくれていると信じたいです。どちらの会場でも、会場の人たち、観に来てくれた人たちから、暖かい言葉をかけてもらっています。こちらの人たちも、今回の日本の震災に心を痛め、また原発事故についても心配していることがよくわかります。


■ 今後の開催予定をお教え下さい(日本での開催は?)


ポーランドワルシャワ: 2012年5月23日〜6月22日それ以降は、何箇所か可能性がありそうな場所が挙がっていますが、まだ確定ではありません。日本の展覧会も、まだ決まっていません。しかし、かならず開催させようと、今日本の仲間が動いているところです。


■ メッセージがありましたらお願いします


○ 私は今50歳です。この年になるまで、自分がこのような展覧会を企画・運営することになるとは、考えてもいませんでした。私の仕事は、ひとりで絵を描くことが中心でしたから、こんなことをするには、まったくの素人だし、最初は、上手くいかなかったら「ごめんね」で済む、ごく親しい友人に声をかけることから始めました。


○ それが、友人から友人へと広がって、巡回展実現にまでこぎつけることができました。ひとりではできませんでした。人と人との繋がりの大切さ、有難さを実感しています。正直に書くと、最初、言いだしっぺになることは怖かったです。自分にできるのか不安だらけだったし、責任取れるのか、答えはありませんでした。でもあの時、怖がって何も言わなかったら、何も始まらず、くよくよ後悔し続けていたと思います。まだこの先に大きな落とし穴が待ち構えているのかもしれません。だから、私のようにやりなさい、などとは口が裂けても言えません。でも、私自身は、始めて良かったと思っています。