山口瞳著『巷説天保水滸伝』

山口瞳著『巷説天保水滸伝』を読んだ。一級の青春小説だと思った。

  96年に亡くなった山口瞳氏の幻の未刊行作品だ。何故未刊行かというと未完だからだ。「笹岡の繁蔵」と「飯岡の助五郎」の抗争が始まるところで終わっている。
  
  ところで蕃茄庵にお越しの諸兄姉は、「天保水滸伝」を御存知だろうか?
  
  ♪利根の川風、袂に入れてぇ♪ である。玉川勝太郎の名調子でお馴染み、浪曲の定番だ。

  「大利根月夜」を御存知だろうか? バタヤンこと田端義男の名曲だ。
  ♪あれをご覧と指さす方にぃ♪ である。

  つまりそれほど人口に膾炙した物語だということだ。題名の通り時は天保。「笹岡の繁蔵」と「飯岡の助五郎」という関東二大侠客の抗争と、それをとりまく男達のドラマを中国仁侠小説の最高傑作『水滸伝』になぞらえたものだ(譬えが大きすぎると言う勿れ、『次郎長三国志』の例もある)。

 悲劇のヒーロー平手造酒を擁する笹岡の繁蔵の方がベビーフェイスで、十手持ちを兼ねる飯岡の助五郎の方が一貫してヒールとして描かれる・・・。それがそれまでの「天保水滸伝」だった。

  この山口瞳著『巷説天保水滸伝』は、それらとは明確に一線を画した作品だ。

  物語は飯岡の助五郎の幼少時代から始まる。横須賀の手習いの師匠の息子が、いかにして下総は飯岡の貸元で網元で十手持ちという大物に登り詰めたのか? そこにあるのは若さ故のエネルギーと運命のいたずらだ。
  この作品はそれを実に丹念に大きなシンパシーを持って書き込んでいる(丹念に描きすぎたから未完に終ったのだと思うが)。一級の青春小説にして、ビルドゥングス・ロマンだ。飯岡の助五郎という男の情熱と純情が実にイキイキと描かれている。若さがキラキラとまぶしい。市川新之助が演じたらいいだろうなぁ。武蔵以上の当たり役になるだろう。


  そして一時は固い友情に結ばれた助五郎と笹岡の繁蔵が、なぜ抗争に至ったかもしっかりと描かれている。そこにあるのは人間の愚かしさ、醜さ、そして運命のいたずらだ。ちょっとしたボタンのかけ違いが悲劇を呼ぶ。
  
  
  363ページ2段組のなかなかの大部ながら、一度もあきることなく一気に読んでしまった。

  この作品は1965年から66年にかけて新聞に連載されたものだ。ケツが決まっていたのだろう。それが未完の理由だと思う。これだけの紙数を費やしていわば序章に終ったのにも驚くが、それでいてハイテンポに感じられるのにも驚かされる。

  1965年といえば瞳先生は39歳、直木賞を受賞されたほんの2年後だ。そのテンポのよさ書き込みのエネルギッシュさに、その若さを垣間見れるような気もする。

  あとがきで瞳先生は未完に終ったことを読者に詫び「いずれ続きを書く」と約した。しかしそれは書かれることはなかった。

  この作品を読むとそれを凄く残念に思う。クライマックスの決闘シーンまで書いて欲しかった。
  だがものは考えようで、これの続きが書かれたらその後の執筆傾向は大きく変っただろう。そうすると『人殺し』『居酒屋兆治』『血族』がこの世に生れなかった可能性も大きい。そうするとこの作品が未完だったことはもしかしたらよかったのかもしれない。

  なにはともあれ、もう読めないと思っていた瞳先生の「新刊」に出会えたのをとても嬉しく思う。

山口瞳著『巷説天保水滸伝』(河出書房新社)1900円

巷説天保水滸伝