福島泰樹『短歌絶叫コンサート』in曼荼羅

昨晩は吉祥寺で途中下車して福島泰樹『短歌絶叫コンサート』に行って来た。ニュース映像や雑誌では知っていたが、リアルでは初めてだ。

会場は吉祥寺のライブハウスの草分け「曼荼羅」。

同じく吉祥寺のMANDARA2や青山MANDARAは行ったことがあるが、本店は初めて。雑居ビルの地下一階。キャパ40くらいの小さなライブハウス。福島さんはここで毎月10日、ライブを行っている。

  福島さんについてはもはや解説はいるまいが、絶叫歌人だ。自作の短歌を、「朗読」なんてなまやさしいものじゃない、全身からふりしぼるような肉声で歌い上げる「絶叫」という独自の表現スタイルを作り上げた人だ。ピアノ、尺八、ドラムが彩りと奥行きを添える。

  黒シャツに黒パンツ、黒のソフトに黒メガネ。原稿を左手に持ってちょっと上体を左に傾けて「絶叫」するその姿のかっこいいこと。

  福島さんは1966の早大闘争の闘いと敗北の体験を歌った歌集『バリケード・一九六六年二月』で鮮烈なデビューを果たし、やがて中原中也、岸上大作など志半ばで死んだ若者の思いを、短歌で代弁する手法を編み出していった。

  今回のメインの演目は「デカダン村山槐多」。夭折した大正期の画家・詩人の村山槐多を歌ったものだ。槐多の人生とともに槐多が生きた大正という時代、槐多が暮らした帝都・東京の姿が歌い上げられる。


  薄暗い地下のライブハウスで福島さんの「絶叫」を聞いていると体の奥のほうで何かふつふつと湧き上がり沸き上がるのを感じる。酒が進む。いや飲まずにいられない。バーボンのストレートをチェイサーも使わずに。

  本来、僕はこういうジャンルは縁遠かった人間だ。落語とか歌舞伎とかストレートにわかりやすいものを好んできた。そんな僕がなぜ突然にこのコンサートに行ったか。

  それはある「導き」によるもののような気がする。それについてはいずれ書こうと思う。その「啓示」と「縁」について。


  終演後、すぐには電車に乗る気が起きなくて吉祥寺の町を歩いた。日常にもどりたくなかったのかな。
  
  なんか疲れきってしまって今日は昼まで寝ていた。