甦る昭和のヒット曲 〜大川栄策に思う〜

発送希望の作品を発送したあとはノンビリ。


夜はだらだらっとテレビ。歌謡曲好きの僕としては「甦る昭和のヒット曲」は欠かせない。



大川栄策の古い映像。




大川栄策を見るといろんな記憶やいろんな思いが駆け巡る。


一番最初に大川栄策を認識したのは中学のころ。1970年代の前半。記憶違いかもしれないので自信がないのだけど・・・。「暮らしの手帖」にお勧めの音楽として紹介されていたのだ。無名だが実力バツグンの歌手として。ずっと同誌の購読世帯だった我が家としては早速「カセット」を購入したのだが、聴いてみたら想像をはるかに超えるド演歌でびっくりしたのだった。そしてそれ以来僕は学校の音楽の時間もコブシが回ってとまらない身体になってしまったのだ。50歳を超えた今も治らないし治すつもりもない。


数年後、人気歌手となった彼は「ザ・ベストテン」で箪笥を担いでいた。福岡の大川市出身でそれを芸名としている彼は地場産業である家具屋に勤めていたという。だからと言って何もタンスを担ぎながら歌うことはないと思うが。


後年、出張族となって同市に行ったとき本当に家具工場だらけでびっくりした。その驚きや喜びを分かち合うことができないのが一人旅の悲しいところ。そこで乗らなくていいタクシーに自腹で乗って運転手さんに聞いてもらった。高くついた。かといって大川泊まりじゃなかったので地元系の小料理屋(話好きの老女将に期待)にいくこともできなかったし。


就職した80年代前半にはすっかりスターだった。忘年会で「お前も歌え」と言われてカラオケに「さざんかの宿」を入れたら「ばかやろう!! 部長の曲だ」と係長に小声で叱責された。サラリーマンというのは難しいなと思い知った22歳の冬だった。


職場に大川栄策に似た先輩がいた。そのころ思ったことはすぐに口に出すほうだった僕は本人のいるところでそれを言った。そうしたらしばらく口を利いてもらえなくなった。僕としては大川栄策は大好きだし悪口のつもりは全然なかったんだけど・・。
女性にはうかつなことを言ってはいけないことを思い知った23歳の春だった。



そして今日、往年の大川栄策の映像を見ていて思った。




今年大記録を打ち立てて大リーグ行きもうわさされている若き大投手に似てると思ったのだけど、仙台出身の人に口を利いてもらえなくなると困るので、これ以上は話を深めない。




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