落研青春記 3 天皇制と食い逃げを考える

(11月15日の続き)

ここまで読んで不思議に思われる読者様もあるかもしれない、なぜ僕がそこまで「敬語 vs タメ口」や長幼の序にこだわるかを。


それは、飯田橋清貧大学落語研究会(仮名)には厳格なカースト制度がしかれていたからである。


具体的にどういうことかというと、どおくまんの「嗚呼、花の応援団」をお読みになった方はおられるだろうか。ほぼあれと同じである。


一年生=奴隷

二年生=人間

三年生=神様

四年生=天皇


と言われていた。天皇が神様より上なのを不思議に思われる方もいるかもしれない。でもちょっと考えてほしい。神に石を投げても逮捕されないが、天皇をパチンコを向けると逮捕される。嘘だと思ったら奥崎謙三に訊いてみなさい。それが日本の常識だ。


先輩には敬語、これ鉄則。どこであっても大声で挨拶。応援団や空手部なら「押忍!」だが、わが落研は「ちわーっす!」。キャンパスでも「ちわーっす!」、駅でも「ちわーっす!」。ちょっと情けないところがいい。


部室でも上座下座は厳守。一年生は部室の真ん中より奥に行くことは原則禁止。畳敷きの部室だったんだけど、一年生は原則正座。


当然、先輩の命令は絶対服従。二年生の命令は、奴隷の立場の一年生から見れば「ご主人様の声」。三年生の命令は当然、「神の声」。四年生の声は「勅令」である。


もちろん先輩の批判など言語道断。奴隷がご主人様にツバを吐けば棍棒で殴られる。神を批判、つまり天に唾すれば神罰が下る。このあとは言わなくてもおわかりだろう。


で、それが辛かったかと問われれば、ぜんぜん辛くなかった。前も書いたように、もともと僕は長幼の序をわきまえていたし、それに・・・・・。世の中には「親分肌」という言葉があるが、僕はその真逆を行く「子分肌」。先輩に服従するのは全然つらいことではなかったのだ。


また、この落研の「カースト制度」にはもうひとつの側面があった。それは先輩は後輩に金を出させてはいけない。つまり一緒のときの飲食はすべて先輩持ちと言うのも鉄則だったのだ。だから一年生の終わりで退部した僕などは、「前座修業がつらくてやめたと思われるのは業腹だから次年度の初年兵が入ってくる直前までは在籍していた」なんてカッコイイことを言ってはいるが、見方を変えれば単なる「食い逃げ」だったとも言えるのである。


(つづく)