長井勝一さんのこと

昨日は長井勝一役を村上弘明氏が演じることにイチャモンをつけた。いい役者なのはわかっているし、大学の先輩(僕の入学前に、仮面ライダーを演じるために中退されている)でもあるので、文句はつけたくないのだが、いかんせんイメージが違いすぎる。


去年の「美代子阿佐ヶ谷気分」の時の林静一さんはよかったね。風貌は全然似てないのだけど、洒脱な、人生の達人振りがいい感じに長井さんっぽかった。

94年の石井輝夫監督作品「ゲンセンカン主人」では、蛍雪次朗だった。昔、日活ロマンポルノで活躍した人。風貌は似てないことも無かった。


ところで、長井勝一さんをご存知だろうか。

僕の憧れの人である。

1921〜1996。「ガロ」の創刊編集長で青林堂の創業社長である。その前は貸本漫画の出版社・三洋社を経営されていて、売れる前の水木しげる先生が作品を寄せていた。もちろん、「ガロ」にも書いていた。名前を複数使って複数の作品を載せていたらしい。これも売れる前の話である。

南伸坊さん、故・渡辺和博さん、松田哲夫さんらは長井さんの弟子筋に当たる。


別名、「モーゼルの勝っちゃん」。

工手学校を出て、鉱山の技術者として満州で働いていたのだけど、日本の敗戦を早めに見越して敗戦直前に帰国して、ぎりぎりで抑留を免れた。しかも帰国の際、モーゼル(ドイツ製の大型拳銃)を持ち帰って、戦後の闇市ではそれを片手にブイブイ言わせていたという伝説を持つ。


最晩年の数年間、僕も知遇を得ていた。神保町が担当エリアになったのを幸いに、用も無いのに材木屋の2階の青林堂に行っていた。会話が苦手な僕は、長井さんと同じ空気を吸っているだけで満足だった。用も無いのにたびたび行くので手塚能理子さん(現・「アックス」編集長)に気味悪がられていた(単なるファンとわかってからは優しくしてもらった)。


94年の「ガロ創刊30周年パーティー」にも呼んでもらった。内田春菊さんと近藤ようこさんに左右からキスされてテレまくる長井さんは可愛かった。会場は出版クラブ会館だった。

翌95年の「日本漫画協会選考委員特別賞」の授賞式で一年ぶりにお会いしたときは車椅子での受賞だった。どこだったかなぁ。市ヶ谷会館だったかなぁ。

そして、翌96年に亡くなった。お別れの会は市ヶ谷のアルカディアだった。


今は故郷の宮城県長井勝一漫画美術館 が建てられている。



話は戻る。だれが長井さんを演じれば満足かである。

長井さんは宇野重吉に似ていた。となれば寺尾聡ということになるのかもしれないけど・・・違うなぁ。


僕は、ナイツの塙がいいような気がするんだけど・・・。いや、単なる個人的なイメージである。気にしないでくれたまい。




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