「【「チャーズ」について】 中国革命戦をくぐり抜けた日本人少女」
2週連続で「芸術小ホール」へ。今日は落語じゃなくて、平和都市宣言10周年記念事業 「戦争体験を聞くつどい12」。演題は「【「チャーズ」について】 中国革命戦をくぐり抜けた日本人少女」。
地元で国立の市民と市(市民協働推進課) が協働で実施している平和事業「ピースくにたち」の主催。
講師の遠藤誉(69歳)さんは、名著「チャーズ」の著者である。国立市在住で元・一橋大学教授。「チャーズ」。実際は漢字だけど出ない特殊な文字なのでかなで書いた。実際はこんな字。
以下、やむを得ずカタカナで表記する。
僕もずいぶん前に読んで、忘れられない本なので、このイベントを知ってすぐに申し込んだ。当初は市役所の会議室で催されるはずのイベントだったのだけど、希望者が殺到して国立で一番広い芸小ホールのメインホールでの開催となった。
「チャーズ」の舞台は終戦直後の旧満州・長春で実際に遠藤さんの身におきた凄絶な体験である。
昭和20年、中国国民党軍の支配下にあった長春を、中国共産党八路軍が包囲して兵糧攻めにした。当然、居留民は飢餓に瀕し脱出を計ったがそれは困難を極めた。ようやく国民党の元を離れても、八路軍に行く手を阻まれ軍事境界線の狭い緩衝地帯(チャーズ)に閉じ込められ、更なる飢餓地獄となった。人が人を食う世界。次々と死んでいく兄弟たち。自分が助かるために同胞を売る日本人・・・。
そして天津に命からがら逃れたあとも「日本鬼子」と指弾される過酷な日々。
衝撃だったなぁ。もちろん本では読んでいたのだけど、実際に体験したした方から聞くとやはり迫力が違う。
「チャーズ」。その存在を八路軍の直系たる中国政府は認めていないのだという。13万人とも16万人とも、さらには60万人とも言われる餓死者を出したチャーズを。
戦争の愚かしさ、怖さ、とともに「国家」というものの恐ろしさを改めて考えてしまった。
そして今日、9月11日は奇しくも遠藤さんが50余年前、中国から舞鶴港に着いた日だという。
時折、美しい発音の中国語(北京話)を交えながら後援する遠藤さん。これだけひどい目にあいながらも、こよなく中国の大地を愛し、留学生をサポートする活動を続けておられると言う。
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