さようなら、ターミナル・エコー 昭和の吉祥寺


吉祥寺で乗り換え。東西線のホームからふと北側を見ると妙に視界が開けてる。


ここってユザワヤの、いや、ターミナル・エコーの・・・・・。


ターミナル・エコーをご存知か。僕が小学生の頃、1970年ごろか、オープンした吉祥寺駅隣接のデパート、名店街で、できた当初は母に連れられ何度か行った。なんと神保町の名店・東京堂書店もあった。


それがほんの数年でテナントがぽろぽろと撤退して行き、僕が吉祥寺蛮風学園高校(仮名)に入学した頃(1975)には1階の食品スーパー・シズオカヤを除いてほぼ全滅。そのシズオカヤも撤退したあとはハンパなビリヤード場がある以外は廃墟となった。


それから長らく吉祥寺駅前のホウンテッドマンションとして君臨していたのだが20世紀の終わりごろ、白馬の騎士のごとく手芸店のユザワヤが出店し、町の新たなランドマークとなっていたのだ。


そのユザワヤもビルの老朽化に伴う建て替えのためこのほど撤退。ビルの取り壊しが始まった。動線の悪い古いビルでよく健闘していたと思う。いい店だった。僕も画材売り場は良く使った。


特に額縁。


秦豊吉を偲んで ( 偲んでない偲んでない) 、よく額縁を買った。規格品のインチ額なんかかなり安かった。


平成生まれの若い読者様のために解説すると、戦後、「額縁ヌード」というのが新宿で上演されましてね。額縁の中に女の人が裸で立っていて「ヴィーナスの誕生」のポーズをとっているの。それに数秒ライトが当たるというものだったんだけど、これが大当たりしたのですよ。その演出をしたのが丸木砂土こと秦豊吉なのですな。

秦豊吉




今日のターミナルエコー(ユザワヤ)が下の写真。



ホームから写真を撮っている人が僕のほかにも何人かいた。


いずれもジジババ中高年。思い出あるよね、ご同輩。


でも「戦後ストリップ史」に思いを馳せながらターミナルエコーの解体を眺めているのは僕ぐらいだな、きっと。<今日の一句>


廃屋の 驟雨 昭和を 流しをり


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ただいま「サラリーマン部門」の130位ぐらいかな。