夏の浪速の芸尽くし(14) 阿倍野の「たこつぼ」

〔8月8日の日記 その7〕


藤村俊二ネコと涙の別れをした後は御堂筋線で4駅戻って「天王寺」へ。大阪市でも有数の庶民的な繁華街だ。東京で言えば池袋くらいの感じかな。


大阪に来たからにはお好み焼きを食べたいと言う次男・三吉(仮名・中2)のリクエストでいいお店を探すけど、案外にない。そうこうしているうちに隣町の阿倍野に出てしまった。


急に張り切るツレ。ツレはこの界隈の名門高校を卒業している。どのくらい名門かと言うとOBに花紀京がいると言う名門校だ。

高校時代を過ごした町というのは格別の思いがあるものだ。僕は吉祥寺のさる名門校を卒業している。どのくらい名門かと言うとOBに「せんだみつお」がいると言う名門校だ。学校自体は3年通って友達がほとんどできずに思い出らしい思い出はないのだが、それでも町は忘れられない。吉祥寺がこの先、つまらん町になっても心中する覚悟はできている(大げさ)。


それはともかく、阿倍野で俄然張り切るツレであった。


アベベ阿倍野でオベベを買った」


なんて蔵出しの軽口が飛び出すほど張り切っている。対抗して、


「アパートからスマートな女がシェパードを連れて出てきてデパートに行ってポマードを買った」


などと言っても一顧だにしない。


彼女の案内で裏道の「たこつぼ」というお店に入った。ちょっとスナックっぽいつくり。


高校の頃は高くてめったに来られなかったという。その後、改装したり移転したり(?)でずいぶん様子が変わっているらしいが、はっきりしない。

お好み焼きと厚切りロース入り「とん平」と明石焼きと焼きソバをオーダー。テーブルに鉄板が備えられてはいるけれど、お店の人が厨房で焼いてくれる。よかった、そのほうが美味しいから好き。


思わず生ビールを注文。「昼間からずっと飲みっぱなしじゃないか」と子供らに顰蹙を買う。お好み焼きとビールと言うのは、この世の中で「最高」にかなり近い組み合わせである。この旨さが知ることができないとは、子供と言うのはなんとも不自由なものである。


ああ、大人になってよかった!!


一方のツレは、お好み焼きととん平と明石焼きと焼きソバを次々と平らげながら、高校生の頃は、高くてあまり来れなかったとさっきの話を繰り返す。


もちろん吝嗇な僕の感覚においても、普通に考えて高い店ではない。でも商店街や公設市場のアーケードのなかのスタンドでびっくりするほど安いお好み焼きにありつけるこの町では、十分に「高い」のだ。

ああ、大人になってよかった〜。

としみじみと述懐するツレなのであった。


一応、食べログ情報↓


関連ランキング:明石焼き | 阿倍野駅天王寺駅前駅大阪阿部野橋駅


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夏の浪速の芸尽くし(13) 同居人を訪ねてホテルへ

〔8月8日の日記 その6〕

銀の匙主人に見送られた僕たちは大通りまで出た。哲学の道の桜の生みの親ゆかりの橋本関雪記念館の前でタクシーを拾って「出町柳」駅まで。京阪の始発駅なのでゆっくり座っていかれる。即、爆睡のまま約50分で終点「淀屋橋」到着。


淀屋橋からはお馴染み地下鉄・御堂筋線で「長居」まで。有名なサッカー場があるらしい。


ここで下車。地上に出るなりちょっとびっくり。



話は7月の24日にもどる。その日の日記に、岡山の駅前で「宮本むなし」という定食屋を発見して、そのネーミングに脱力したことを書いた。


この店ね。

岡山駅。県庁所在地の駅のまん前よ。


そして長居駅である。長居駅の前にもあったの、「宮本むなし」が。岡山だけじゃあなかったのだ。


早速、携帯でググッで見たら、西日本にたくさんの店舗を持つチェーンの定食屋さんだった。システムやメニューは「やよい軒」「めしや丼」みたいな感じかな。


この珍妙な店名の由来は、社長の息子が幼児のころ、「宮本武蔵」と言えずに「宮本むなし」と言っていたことだそうである。


大事の店にそんな名前をつけちゃう社長さんのセンスにも脱帽だが、「宮本武蔵」がボキャブラリーにある剣豪な幼児にも驚きである。いや、もしかして社長さんの名前は吉岡さん? と思ったけど違った。


(これ、長居店ね)



そんなことより、長居である。なぜ長居に来たかというと訪ねるさきがあった。


義妹の同居人のところだ。義妹が旅行中なのでホテル暮らしをしているのを面会に行ったのだ。面会と言っても話をしてわかるタイプじゃないので若干の不安はあるのだが。


義妹が旅行中だとなぜ、同居人がホテル暮らしをするか不思議に思う人もあるだろう。


しかたがないのである。猫だから。



長居のペットホテルに預けている猫に面会に行ったのである。もうけっこう爺さんで、人間で言うと藤村俊二くらいの歳なんだけど元気でよかった。よく食べているらしい。ツレに抱かれて腕の中でグルングルン回転し、Tシャツを毛だらけにしていた。


ひきつづきよろしくと「フロント」のひとと「客室係」の人に挨拶して辞去した。


さぁて、次は晩飯だ。

なに?大阪らしいものを食いたい? じゃ、どうだい、どうやら大阪が本部のローカルチェーンのようだから、「宮本むなし」でサバ煮定食580円ってのは?


絶対やだ?


そうか。じゃ、また地下鉄、乗ろうか。


                       (つづく)

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夏の浪速の芸尽くし(12) 承前・銀閣寺門前 カフェ&燻房「銀の匙」

〔8月8日の日記 その5〕


そう言うわけでやってきた銀閣寺門前のカフェ&燻房「銀の匙」。原宿の竹下通りの如き雑踏から数メートルのアプローチで、別世界の様な佇まいである。キャバリア犬のさくらちゃんもそう言っている。


銀の匙


汗だくで乗り込んだ僕たちを迎えてくれた奥さん。東映のお姫様女優のような清楚な佳人だ。「美女とナントカ」とは言わないが、いずれ馴れ初めをじっくりと聞きたいものである。


ご亭主は自宅で仕込みの作業中ということで、店内で待たせてもらうこととした。


ウッディな店内。は温かみとともに清潔感がただよう。かけられた絵はご夫婦の作品か、店の雰囲気に合っている。自らのライブ演奏風景のスナップなど貼ってあるのもご愛嬌だ。


早速、オーダー。燻製とワッフルが売り物と言うことである。


ツレと子ども等がワッフルとソフトドリンクのセット。僕は「スモーク・オードブル」と赤ワイン。「スモーク・オードブル」はベーコン、スモーク・チーズ、スモーク・

サーモンの三点盛りと生野菜のセット。


う、うまいっ。これは凄いぞ。僕が今まで食べてきたスモーク・チーズは何だったのだ。もちろんながらワインにも合う。ベーコンとサーモンも絶品!!


「えっ、そんなに美味しいの?」


とやつらが手を伸ばす。ちょっと待て、ワインの減りと計算して計画的に食っているんだから手を出すな!!

出すなと言われて出さないやつらではない。ならばワッフルを寄越せ!!


などと醜い争いをしているところにご亭主が帰ってきた。


がっちり握手して久闊を叙す。聞けばこの店内のほとんどを手作りしたそうだ。何でもできる人だとは聞いていたが、大工左官もこなすとは驚き。


燻製ももちろんオール手仕事。日中は店にいて夜は仕込みをしているとか。興が乗ると徹夜なんてこともあるそうだ。


お土産に買って帰った(もちろん自分に)スモーク・チーズの説明書によると、


2〜4種類のナチュラルチーズをミックスしたプロセスチーズを素材にして自家製スモーク材(チップ)で約20〜24時間燻し通してじっくり仕上げた「手づくりオリジナル」です。
インスタント燻製材や燻液で漬けた量産品では決して作れない素材でコクのある「本物の味と香り」をどうぞお楽しみください。
(中略)
スモークチップはホワイトオーク、ヒッコリー、山桜など7種の原木を手鉈と電動カンナで削りミックスして一窯一工程で約5kgを使い切ります


うーーむ、これはもう完全に「表現活動」だぁ。


「ワインの減りと計算して計画的に食う」などと言っていながらワインをおかわりしてしまった。これはワインが進むぞぉ。




冒頭の可愛いワンちやん入りの写真は京都在住の「セィラ」さんのブログ「キャバリア犬さくら&れんげとケ・セラ・セラ」から拝借しました。

とても可愛いサイトです。ご覧になってみてください。

余談だがこの店のことを検索すると、地元在住の方のブログに多く行き当たる。観光客相手と言うよりも地元の通人たちに愛されていることがよくわかる。


あ、一応、「食べログ」情報。⇒>


関連ランキング:カフェ | 元田中駅茶山駅一乗寺駅



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夏の浪速の芸尽くし(11) 銀閣寺門前 カフェ&燻房「銀の匙」

〔8月8日の日記 その4〕

そう、会いたかった人があったのだ。


銀閣寺門前のカフェ&燻房「銀の匙」。そこのご亭主がその人。昨年の秋、京都に出張に来たときにも銀閣寺の帰り (「銀閣寺に行く出張」っていったい・・・)に寄ったのだけどお留守だった。


結構、古い友達だ。多分、20年近いと思う。仲間内の温泉旅行で初めて会った。彼と歩いた山奥の早朝散歩は忘れられない。食べられる草や木の実を教えてくれて、もやしっ子でアウトドア志向がまったくない僕には得がたい経験だった。

元「ガロ」の編集者でマンガ家でイラストレーターでミュージシャンでクラフト作家で放浪の詩人で、ということだったがその真実は多羅尾伴内よりもわからない。今回も、ツレに「どういうお友達?」と聞かれて説明に困った。


その彼から「京都に店を出した」との知らせをもらったのは3年前のこと。しかし、「多分、京都って言っても山奥のほうなんだろうから(すごい先入観)、たぶん行く機会はないだろな」と思って、そのままだった。ただその店名「銀の匙」は気になっていた。誰やらの作に、


「泣きたくて銀の匙読む花曇」


という名句がある。誰だっけ? あ、俺か。

ま、つまり中勘助の『銀の匙』はとても好きな小説なので、印象に残っていた。


で、昨秋の出張である。銀閣寺の前の道を歩いていて突然目の前に現れたのだ、「銀の匙」が。

ここだったのかー。

思わず店の中に入ったのだが、あいにく彼は不在で会えなかった。まあ、別に何年も会ってないと言うことはなくって、去年の春の「劇画誕生50年を祝う会」でも深夜まで一緒に飲んでいるのだけどね。


とにかく今回はそのリベンジ。とは言え、彼の店に行くのはこの店が初めてではない。


ずっと以前、彼が信州の観光牧場で夏季限定の店を出していたことがある。ピエロの人形等クラフト作品を展示販売する店だった。なんか幌馬車みたいな店だった記憶がある。

あれは何年前だったんだろう。次男・三吉(仮名・中2)が生まれる前だったのは間違いない。15年くらい前だろうか。

長女・花子(仮名・高2)に聞いたら覚えてないという。まあ、小さかったから仕方がない。出発前に長男・虎太郎(仮名・20歳)に聞いたら「知らない」という。知らないとは情けなや。物心着く前にどこ連れてっても無駄だね、どうも。思わずツレに、


「こいつら覚えてないんだってさ、呆れたよ」


とぼやいたら、


「私も覚えてない・・・・」


ああ、情けない。こいつはまだ物心がついてないのか。



ってそんな話を、銀の匙亭主氏にはなしたら、


「えっ? 来たっけ?」


えっ? もしかして俺の妄想だったのか?


そんなことはない。その時、牧場のお店で買った版画作品が今も僕の部屋に飾ってある。これが証拠。



下に「95」と書いてある。ああ、1995年だったのか。



いかん、肝心の「銀の匙」のレポートを書く前にすっかり長くなってしまった。続きは明日。


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夏の浪速の芸尽くし(11) 哲学の道

〔8月8日の日記 その3〕

そういうわけで、庭を眺めながら寝てしまったのだ。

とは言えいつまでも寝ていては大迷惑なので出発しよう。これから「哲学の道」を行くと言うと、


「暑いから水分を取りながらいきなさい」


と伯母が人数分のペットボトルの麦茶を持たせてくれた。



伯父の家を辞去したあとは永観堂山門へ。中には入らずに左折。ここから銀閣寺までが「哲学の道」になる。




本当は南禅寺まで戻って散策のスタートとしたかったけど、暑かったのと、「来年の修学旅行で行ったときに感動が薄れる」との次男・三吉(仮名・中2)の言葉でやめた。もっとも後で長女・花子(仮名・高2)に聞いたら、南禅寺は修学旅行のコースに入っていないそうであるが(花子も知ってて黙ってた)。


途中、往年の時代劇スター・栗塚旭の店「若王子」の看板が見える。今も営業しているかどうかはわからない。言うまでもないが「わかおうじ」ではなく「にゃくおうじ」と読む。栗塚旭をご存知か。若い人は知らないかも知れないが、かつて「燃えよ剣(「萌えよ剣」じゃないよ)」の土方で大当たりを取った人だ。



川(疎水?)の向こう側に「叶匠壽庵」が見える。「京都茶室棟」というお店だ。


ここは先代のお祖母ちゃんに連れてきてもらったことがある。伯父のお母さんだ。もちろん、とうに亡くなっている。


20数年前、ツレと結婚して数年目の里帰りの際だった。ちょっと散歩にいきまひょと言って連れてきてくれた。

抹茶とともに出てきたお盆の上には伏せられた竹の籠。その下にガラスの器に盛られた梅ゼリーがある。その籠をはずす時に趣向があって、籠の内側に、先に小石が結ばれた紐がついているのだ。それが、籠をはずすときにガラスの器に触れて、


「チリリーーン」


と、なんとも涼しい音を立てるのだ。京都らしいなぁ、と感心したものだった。「素敵なお店に連れてきてもらってありがとうございました」と礼を言うと、


「ワタシも初めて来ましたわ」


と笑った。お茶目なお祖母ちゃんで僕は大好きだった。



多分、「哲学の道」もそれ以来だな、僕は。寺社仏閣への関心の薄い僕にとって、京都はどうしても縁遠くなる。たまに来ても京都駅と伯父の家の往復になってしまう。でも今回はめったにない家族旅行なので足を伸ばしたのだ。


久々に通る「哲学の道」。「清里化」と「浅草化」がずいぶん進んでいるようにも見受けられたが、木陰も多く快適な散歩道だった。「清里化」などと文句を言いつつ、「猫雑貨」の店で猫柄のエコバッグなんか買ってしまうのだな、これが。


一段と賑やかなところに出た。銀閣寺の門前だ。昨秋も来たから見覚えのある町並み。


凄い人手。原宿の竹下通りみたい。「人力車のある竹下通り」だ。



ここで会いたい人がいる。


(つづく)



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夏の浪速の芸尽くし(10) 京都。満腹と絶景と借景

〔8月8日の日記 その2〕

南海電車を「なんば」で降りて地下鉄御堂筋線に乗り換え。そして淀屋橋で乗り換え京阪電車で京都に向かう。


更に京都地下鉄に乗り換え市役所前で下車。よくぞ間違えずにここまで来られたと自分たちを褒めてやりたい。


荘重に聳え立つ京都市役所。そのとなりでさらに高くそびえ立つホテルオークラ京都。建設に当たっては環境と景観の問題で結構揉めたと聞く。そのロビーで伯父伯母と待ち合わせ。一緒にランチをしようと誘ってもらったのだ。


待ち合わせはオークラだけど、食事は近所のラーメン屋で・・・・・と言う展開でも面白いのだけど、そのままエレベーターで最上階・17階のレストランでランチバイキング。


生ビールを飲みながら近況を語り合い。和・洋・中のご馳走をいろいろいただく。目の前で焼いてくれるステーキの美味しいこと。チラシ寿司も美味しい。カレーも美味しい。デザートに和菓子(葛まんじゅう)があるのも嬉しいね。興奮して食べまくる次男・三吉(仮名・中2)。



「ヲイヲイ、腹も身のうち、やでぇ」と鷹揚に笑う伯父。



あれ?


この台詞、どこかで聞いたことが・・・。


20余年前、仕事で上京した伯父に・・・。上京はおかしいか。「京都から上京は」おかしいね。


京都から仕事で「東下り」した (って、神崎与五郎かよ) 伯父に帝国ホテルのランチバイキングに招ばれて興奮して食べまくった僕も同じことを言われたのだ。

いやはや親子二代で面目ない。


ごちそうといえばこれも大変なご馳走。17階からの東山の絶景である。大満足。そしてもちろん大満腹。



食後はタクシーで永観堂門前の伯父宅へ。永観堂は紅葉が有名な古刹で、通年、観光客でにぎわうが道一本入った伯父宅は静かな住宅街だ。


座敷に座って、伯母が淹れてくれた麦茶を飲みながら庭を見る。庭の向こうが写真ではわかりにくいけど東山。借景になっている。



そのうち眠くなってごろりと横になる。ここにお邪魔するといつもこう。放っておいてくれるので、芯からリラックスしてしまう(しすぎだ)。


そのうち、伯母が枕とタオルケットを持ってきてくれて、旅の疲れと満腹とビールの酔いで(それは僕だけ)、一家揃ってまるで討ち死にするように本格的に昼寝をしてしまった。


贅沢すぎる京都の夏の昼下がりだった。

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夏の浪速の芸尽くし(9) 彼方からのメール

〔8月8日の日記 その1〕

 8時起床。ツレはすでに起きて洗濯をしている。僕と三吉でパン屋「パリーネ」へ朝食の買出し。見るからに美味しそうな調理パンにコーフンする三吉。ソーセージパンにするかハムロールにするか深く悩む。


朝食後、大画面で「最強武将伝 三国演義」を見てから出発。


今日は大阪を離れ京都に行く。

住ノ江駅の階段を駆け上り、南海電車「なんば行き」に飛び乗った。


この沿線にはかつて女流義太夫三味線の鶴澤寛也師匠が住んでいた。ツレの実家と至近なのは偶然。当時は里帰りのたび、僕ら夫婦と寛也夫妻で遊んだ。道頓堀の名店「はり重」でランチをしたこともあった。若造のくせに生意気な!!

長男・虎太郎が2歳のころお宅に遊びに行ったこともある。虎太郎と令嬢のサヤカちゃん(仮名)はちょうど一歳違い。虎太郎が手づかみでまるでオランウータンのように食事をするとなりできちんとお箸を使って食事をするサヤカちゃんにびっくりしたのを思い出す。

ツレと虎太郎だけで大阪に帰ったとき、寛也夫妻と偶然「なんば」駅で会ったという話にも驚いたなぁ。すごい偶然。


そんな話をしているところで携帯電話が鳴った。こういう不思議な偶然もあるものである。寛也師匠だ。


産経新聞に書評が載ったとのことだった。松井今朝子先生の新刊について。


その珠玉の書評は、こちらをクリックしてご覧ください。うん読みたくなる。それにこの本は寛也師匠が書評しなくちゃまずいでしょう。(というその書評への感想はのちのこと。そのときは読めない)


電車はちょうど、師匠がかつて利用していた駅に着いた。思わず携帯で写真を撮ってメールに添付して返信した。


「僕はいまここにいます。」


と書いて。


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