夏の浪速の芸尽くし(8) 再び合流、蕃茄一家

〔8月7日の日記 その4〕

 国立国際美術館を出た僕と長女・花子(仮名・高2)は10分ほど歩いて、地下鉄四つ橋線の「肥後橋」へ。花子のキャリーバッグがガラガラとうるさい。人気の少ない(ニンキではない。ヒトケ)土曜日のオフィス街に響く。


ホームに着いた途端に着信音。ツレからのメールだった。


「今、どこ?」


あちら(ツレと次男・三吉<仮名・中2>)も映画が終わったようだ。成り行きで「なんば」で待ち合わせることにした。どちらが先に着くか分からないけど、着いたら相手にメールするという「ぞろっぺい」な待ち合わせ。大阪弁で言う「まちきり」である。まったくもう、携帯電話というものは人をずぼらにするね。


四つ橋線を「なんば」で下車。出口を間違えて変なところに出てしまった。

見上げると、

「めるへん」
「リトルチャペル」
「もだん・えいじ」 (以上、実名)


ラブホ街に出てしまった。立ち並ぶホテル群の上記の如き珍妙なネーミングセンスに二人で爆笑。

極め付きは「ミッキー・クッキー」 。頭に「横山」とか「青空」とか着けたら、まんま漫才師になりそうな名前だ。


しかし。こちらも妙にカジュアルな五十男とキャリーバッグを引きずった女子高生。家出娘とヒヒジジイぐらいに見られるかもしれないが、まあ安心。

何しろ花子は僕にそっくりな「ザンネンな長女」。お調子者の親子にしか見られない。

ラブホ街を突き抜けると目の前は南海電車の「なんば」駅。無事、ホームでツレ、三吉と合流できた。


それからはダースベーダー似のラピッド号には目もくれず「各駅停車・和歌山行き」に乗る。住之江で下車。



20分乗って最寄り駅の住之江で下車。

駅近くの公園では盆踊りの準備をしていた。

おおっ、大阪の盆踊りって河内音頭の音頭取りがゲストで廻ってくるんだろ? あとで来ようぜ。

「そんなの来ないわよ」

そうなんだ、がっかり。


そして、「ベース・キャンプ」であるツレの実家に荷物を降ろして一休み。


夜は数日前に書いた住ノ江駅近くのラーメン屋「太玉(たーわん)」で夕食。

漫画ゴラク」を読みながら、レバニラ定食を食ってキリンビールを飲むと言う至福の時間を過ごした。

ベース・キャンプから歩いて5秒の「スナック終着駅」にも行きたかったが自粛。おとなしく寝た。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ご意見、ご希望は下の「コメントを書く」欄へ。内密な話はメール

夏の浪速の芸尽くし(7) 国立国際美術館「 横尾忠則全ポスター」

〔8月7日の日記 その3〕

つまり、「家族と梅田の地下街で待ち合わせてオムライスを食った」ということだけなんだけど、僕が書くとかくも長くなってしまう。不思議だ。


で、家族が揃ったのもここまでで、ここでまた解散する。僕と長女・花子(仮名・17歳)は「国立国際美術館」へ。ツレと次男・三吉(仮名・13歳)は梅田のシネコンで「アリエッティ(「南くんの恋人」とどう違うんだ)」。


国立国際美術館」は梅田からタクシーで5分の「中之島」にある。クールファイブの「中の島ブルース」の2コーラス目でおなじみの土地である。



開催中のイベントは「横尾忠則全ポスター」。高校時代に手がけた地元の商店街のポスターから最新作まで、800余点が展示されている。

(詳細はしたのバナーをクリック!!)


横尾忠則展


現在、横尾忠則氏は花子にとって「神!!」の一人。これを見たくて大阪まで来たようなものだ。なにしろ、前日の夕刻に合宿から帰ったばっかりなのだ。いつもの花子だったら「疲れてるからパス」のはず。それが横尾氏に惹かれて東海道を登ってきた。


いやはや凄い見ごたえ。花子は純粋にデザインを楽しみ、僕はそのポスターが描かれた時代背景をも楽しんだ。一点一点じっくりと見てそれが800余点。

ミュージアムショップで図録をねだられるが、12,000円。うーーーん、ちょっと買えない。ポケットサイズのミニ画集を買った。


カフェでいったん休憩を取った後、同時開催の「束芋 断面の世代」展。この春、横浜美術館で開催され話題となった。



これも見たかった展覧会。新聞小説「惡人」の挿絵でも話題の気鋭のアーティストによる映像インスタレーションは、やはり大画面で見たかったのだ。ユーチューブじゃなくね。

すごいなぁ、見ていると平衡感覚がおかしくなってくるよ。

ところでこの束芋さん。本名は田畑さんという。いつも一緒に行動しているお姉さんがいて「タバタのイモート」で「タバイモ」になったと言う。なるほど。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ご意見、ご希望は下の「コメントを書く」欄へ。内密な話はメール

夏の浪速の芸尽くし(6) 梅田の地下街


〔8月7日の日記 その2〕


そういうわけで、待ち合わせの時間が迫っていた!!


突然ですが旅の終わりです。


正確に言うと「一人旅」はここまでで、ここからは「華族旅行」、じゃなくて「家族旅行」となる。


待ち合わせは正午に「阪神百貨店地下のマクドの前」。断じて「マックの前」ではない。アップル社の回し者じゃないんだから。


この「阪神百貨店地下のマクドの前」、正確には「梅田の地下街の阪神百貨店の前」は僕にとって思い出の場所だ。かつて出張族の時、ここで演奏するストリート・ミュージシャンを追っかけていたのだ。その名は「エグザイル」。このことは以前にも書いた。このエグザイルを巡る秘話に興味のある方はこちらをご覧ください。


ここで待ち合わせて昼食となるわけだが、土曜の昼である。とにかく込んでいる。込んでいる上にターミナルである大阪駅が近いのでキャリーバッグを曳いた輩が多い。たびたび轢かれそうになる。轢いたら蹴るからな、と剣呑な気分になる。


早めに着いたのでちょっと阪神百貨店のレストラン街を覗いてみたのだが、それこそ中高年の佃煮ができるほど込んでいる。どの店も長蛇の列。こりゃいかんわ。


ふたたび「地下・マクド」の前に下りて待つこと数分。「大・中・小」の人影がやってくるのが見えた。ツレと長女・花子(仮名・17歳)、次男・三吉(仮名・13歳)の3人だ。

長男・虎太郎(仮名・20歳)は不参加。用事があるという。何の用事か問うたら「“鬼の居ぬ間の洗濯”をしなくちゃならない」そうだ。なるほど、それは大事だ。


さて揃ったところで飯にしよう。阪神百貨店は激込み、かといって地上に出ると暑い。地下街で食おう。


大阪は地下街が異様に発達している。多分、東京以上。梅田随一の地下街「ホワイティ」に行こう。あそこなら飲食店がたくさんある。先導して歩き始めたら後ろでガラガラ音がする。わが娘もキャリーバッグを引っ張ってやがった。轢いたら蹴るからな。


「ホワイティ」も思い出の場所だ。ずっと以前、花子が迷子になったのだ。

どのくらい以前かと言うと三吉がツレのおなかにいるときだから、花子が三歳のころ、かれこれ14年前だ。ホワイティの和食店で親子丼の取り合いから花子と虎太郎が喧嘩になり、ツレに叱られたら花子が逆ギレして走り出して迷子になってしまったのだ(その時、僕は所用でいなかったので後で聞いた)。

声を嗄らして探したが見つからず、警察に行こうかと思ったところに(なんとこの地下街には曽根崎警察署が地下で直結している。便利)、イギリス人の青年が走ってきて「彼女は○○にいる」と教えてくれたという。英語で。そして花子はその場所で泣いていたという。

なぜ彼が花子の迷子を知っていたか、本当に彼の英語が通じたのか、だいたいなぜ彼がイギリス人とわかったか、などこの話には謎は多い。その辺をツレに訊いても要領を得ない。さらに問い質すと、

多分、彼は神様だったのよ」

とのことだった。


それはともかく「ホワイティ」で昼食である。飲食店は無数にあるが、小さい店が多い。どこにしようかなと思ったところにあったのが「卵と私」。全国チェーンのオムライス屋さんである。ちょうど4人がけのボックスが空いている。「ここにしよう」と僕以外の3人の声が揃った

えー、せっかくだからもっと別のものにしようよ。この先にトンカツのKYK(ローカルチェーン)もあるし・・・。大体、おれはオムライスってのが好きじゃないんだよ。大の男が食うものじゃない、“女子供”が食うものだろう。って、敵は女と子供である。抵抗の仕様がない。


また、腹が立つことにこれが旨いんだ。まぁ、カツは前日にたっぷり食べてるしね。残さずいただきましたたよ、もちろん。



とまぁ、こういうわけで2日ぶりに家族と会って昼食をともにしたというのに、ここでまた分裂して別れ別れになる門出なのであるが、続きはまた明日、か明後日、か明々後日。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ご意見、ご希望は下の「コメントを書く」欄へ。内密な話はメール

※オムライスの取り合いで喧嘩になったのだと面白いのだけど、残念ながら違います。

夏の浪速の芸尽くし(5) 大阪歴史博物館「華やぎの装い 鴻池コレクション展」

〔8月7日の日記 その1〕
7時半起床。義妹のママチャリに乗って住之江駅前のパン屋「パリーネ」へ。義妹お勧めのパン屋で朝6時半から営業している。朝食に焼きたてのパンがいただける。国立のへんにはない文化で、わくわくする。

大画面で「ゲ」を観ながら朝食。うまい。コーヒーはインスタントながらリッチな気分。


今日は「大阪歴史博物館」へ行く。目当ては「華やぎの装い 鴻池コレクション展」。これも「夏の浪速の芸尽くし」の一環である。


鉢植えに水をやっていた隣のおばちゃんと立ち話をした後、至近の「我孫子道」から阪堺電車に乗る。いわゆる「チンチン電車」で地元の人は「チンデン」と呼ぶ。

そのチンデンで「阿倍野」まで行き、地下鉄・谷町線に乗る。相撲のスポンサーを表す「タニマチ」と言う言葉の元になった大旦那がこの界隈に住んでいたというが詳しいことは知らない。


谷町四丁目」、いわゆる「タニヨン」の駅から地上に出たところに「大阪歴史博物館」は聳え立っている。


おっ、携帯で撮ったとは思えないほどカッコイイ写真。

それにしても暑い。セミがうるさい。立ち木に幹にほぼ30センチおきにとまっている。凄い密集。

揃いの浴衣の係員さんからチケットを買い、エレベーターで最上階へ。常設展から見る。古代から近世・近現代と時代が降りるにしたがって、エレベーターで階層を降りていく。最上階からは史跡「難波宮」や大阪城が間近に観られる。博物館で学んだものの現物が窓から見られるというのはなかなかいい趣向だ。


館内は空いている。客のほとんどは中国からの観光客。若い人が多い。展示内容は東京の両国の「江戸博」をひとまわり小ぶりにした感じ。でもフラッシュさえ使わなければ、ほとんど写真とり放題なのが豪気でいい。


個人的には近世の水の都としての発展の記録と近代の「大大阪時代」のコーナーが面白かったな。

近世では文楽人形が案内役で、声の出演が上方歌舞伎の花形・片岡愛之助丈(ごひいき)。近代では、エンタツアチャコ春団治のフィルムなんかも観られたし。

戦前の生活の展示で書見をするご隠居の人形。

と思ったら、義太夫のお稽古をしていたよ。


常設展のあとは特別展の「華やぎの装い 鴻池コレクション展」へ。

鴻池というのは大阪におけるお金持ちの象徴だ。現在の三菱東京UFJ銀行を遡ると、三和銀行を経て鴻池財閥にいきつく。落語のほうでも「鴻池の犬」「はてなの茶碗」に登場する。

その鴻池家のコレクションの数々の特別展示だ。豪華な着物や漆器などもたしかに凄いのだけど、ぼくのお目当ては義太夫だ。


当主が義太夫道楽で、太夫、三味線を呼んで、オリジナルのレコードを作っていたと言うのだ。しかもそれを売り出すためではなく、自分が聴くためだけに。豪気だなあ。


その一部が聴かれると言うもの。忠臣蔵、卅三間堂棟由来などそれぞれ3分ぐらいで音質ももちろん悪いけど、自分だけのためにこういうものを作る道楽ぶりが感動的だった。



などとのんびりじっくり見ていたら・・・。いかんっ!! 待ち合わせの時間が迫っていた!!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ご意見、ご希望は下の「コメントを書く」欄へ。内密な話はメール

夏の浪速の芸尽くし(4) 三代目大川竜之介率いる「劇団竜之介」

〔8月6日の日記 その4〕

新世界「浪速クラブ」、今月の出演は三代目大川竜之介率いる「竜之介劇団」。


公式サイトはこちら大衆演劇の聖地・九州を本拠とする一座だ。


まずはプロローグの舞踊ショーから始まる。一座の役者たちが歌謡曲にあわせて踊るのだ。若い役者さんばかりなので動きがシャープで気持ちがいい。


続いてはお芝居。当然、チャンバラ時代劇かと思いきや、ザンギリ鬘の近代劇。寒村を舞台にした悲恋と兄妹愛を描いた人情芝居だ。笑いのスパイスも効いている。

タイトルは「妹よ」。


いやぁ、面白いねえ。おばさんの追っかけファンもいるようだが、当然と言えよう。これ以上やったらクサくなるのでやめよう、と言うところでやめないところに妙味があり、このへんは韓流ドラマとの共通の要素だ。「抑制レス」の魅力。


それと手が届く親近感。会えるアイドル。AKB48にも共通する要素ともいえよう。


あと、ストリップとの共通点もある。脱がないストリップ。肉体を露にするのではなく、「心根」を露にするストリップだ。色っぽい裾捌きや、思わせぶりな片肌脱ぎが情を煽る。


座長がいいネェ。もう30代も後半だしずんぐりして芸者姿も天童よしみみたいだけど、美貌や若さに頼らない芸の力で場内を魅了する。北島三郎の「帰ろかな」にあわせた舞踊などは「え? この歌、こんなにいい歌だったっけ?」と思ってしまうほどの出来だった。3年前には水戸黄門のサブゲストに出ている。


若い役者さんもいい。弱冠23歳の大川史音(しおん)君もすこぶるつきの美形だが、27歳の花形女優・大川真莉亜(まりあ)ちゃんの儚くも色っぽいこと。しかも、しかもだよ、踊っている間ずっと僕と目が合っていたのだ。お互いの視線が絡み合って、ほどけなくなってしまったのだよ。

いや、そんなはずがないことはわかっている。つまり、これがいわゆる「流し目千両」と言うやつだ。もうなんていうかね、「一財産無くしてもいい」と思ったよ。惜しい!一財産がないのが。

座員の皆さんの写真は こちらをクリック

 
後半の歌謡ショーで見事なのどを披露する座長。大衆演劇の役者さんたちはみな歌がうまい。梅沢登美男の「夢芝居」、あの名曲のヒットが記憶に新しい(新しくない、新しくない)

さらには常連の追っかけのおばあちゃんにバースデイソングをプレゼントしていた。


終演後は出口でお客様を見送るサービス。僕も思わず座長とがっしり握手。小ぶりだが堅く力強い手だった。大川真莉亜(まりあ)ちゃんとも握手したかったが、あの「流し目千両」で満足。


小屋を出て空を見上げたら、通天閣が光っていた。


雨が降りそうだったので急いで阪堺電車でベースキャンプに戻り、テレビで「サマー・ウォーズ」を観て寝た。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ご意見、ご希望は下の「コメントを書く」欄へ。内密な話はメール



追記  同劇団では座員を募集しているらしい。「35才までの男・女、経験は問いません。」とのこと。あいにく僕は年をとりすぎているからだめだけど、お若い方で我こそはと思う方はぜひ。

夏の浪速の芸尽くし(3) 新世界「浪速クラブ」で大衆演劇

〔8月6日の日記 その3〕

腹ごしらえもすんだところで「浪速の芸尽くし」の第2弾。同じく新世界「浪速クラブ」の夜の部。数多ある大阪の大衆演劇の小屋の中で現役最古のものである。

ここも2,3回来たことがある。


空振りだったこともある。たまたま来たのが千秋楽の夕方で、最終日は昼の部のみというシステムを知らなかったのだ。

でもいいものを見せてもらった。なぜ最終日が昼の部のみかというと、大道具・小道具をトラックに積み込んで、次の巡業地に行かなければ行けないからだ。その時間に来合わせた僕は、役者さんたちがドーランも落とさぬままに、Tシャツ、ジャージ姿で手際よく荷物を積み込み、見送るファンたちに別れを告げて旅立つ場面を見せてもらって、感動したのだった。



大衆演劇を初めて見たのはいつだったかなぁ。多分高校生のころ。浅草にあこがれて通い始めてしばらくしたころだ。今もある木馬館。夏だった。最初は今のように素直に楽しめず、底知れぬ恐怖感を感じたことを記憶している。すごく危険なものを感じたのだ、「これ以上近づいてはいけない」と。

もちろん「近づいてはいけない」と感じたからと言って近寄らなかったら人生に意味はないわけで(極論)、その後、大学に入ってからもたびたび通った。

当時はT女子大のAちゃんだった女流義太夫三味線の鶴澤寛也師匠たちと行ったこともあった。


その妖しい舞台に感動したAちゃんは、帰りに寄った居酒屋でえらいことを言い出した。

「浅草木馬族を結成しよう」と。

当時、「竹の子族」というのが流行っていた。原色の珍妙な無国籍ファッションに身を包み原宿のホコテンで踊る若者たちである。

それに対抗して、大衆演劇の芸者や花魁や女郎や若衆の衣裳を着て妖しく舞い踊れば絶対、流行ると。

「危険を感じたからと言って近寄らなかったら人生に意味はない」のが僕の信条であるが、このときばかりは固辞した。危険すぎるぜ。


それはともかく2010年夏の浪速クラブである。相変わらず古い建物である。

僕が前に立ったのは夕方の5時ちょっと前。もう開場しているはずだが、何人かの人が劇場の前に屯している。

あれ? と思ってすぐそばのベンチに座っていたミニスカの女性に「もう、入場始まっていますか?」と聞いたら、

「ええ、始まってますよ」と教えてくれた、野太い声で。女性かと思ったら女装の人だった。となりに座る苦みばしった初老の男性とカップルみたいだった。


お礼を言って自販機でチケットを買う。1200円。ボタンがたくさんあってちょっと買い方に戸惑っていたら、件の女装の人が立ち上がって教えてくれた。ぼくより背が高かった。


場内に入ると揃いのTシャツのいなせなお兄さんが案内してくれた。前のほうやセンターよりは200増しの特別料金らしい。ただし座布団がつく。まよわずそれを選択する。

お客の入りは9分ほど。平日ながら満席に近い。年配客だけではなく若い女性客もいる。「簿記2級」のテキストを熱心に読む若い女性もいる。

ご覧のとおり定式幕も色褪せて古いには古いが、全体に清潔に保たれている(トイレもきれいだった)。


売店大衆演劇の情報誌「演劇グラフ」を買う。初見の雑誌。


客席で読んでいたら、「アイス食べる?」の声。顔を上げると、さっきの女装の人が僕の前の席で、傍らの“彼氏”に呼びかけているところだった。

いそいそとアイスを買いに行った彼女が戻ったところで柝が入った。



芝居の幕開きである。出演は三代目大川竜之介率いる「竜之介劇団」。


ってところで、続き、肝心のレビューは明日、か明後日、か明々後日。乞うご期待。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ご意見、ご希望は下の「コメントを書く」欄へ。内密な話はメール

夏の浪速の芸尽くし(2) 新世界「てんぐ」で串かつ。

〔8月6日の日記 その2〕

天満天神繁盛亭」終演後はふたたび南森町へ。堺筋線を一気に南下。「動物園前」へ。目の前にそびえる廃墟は「フェスティバル・ゲート」。半屋内型の遊園地。このエリアに遊園地は無理だろうと心配されながらオープンしたが、やはり長続きはしなかった。合掌。




この町の名は「新世界」。ドヴォルザークとは関係ない。ランドマークは通天閣。その造形のかっこよさは東京タワーと双璧をなす。と思う。

ちょっと早いが夕食である。

どのくらい早いかと言うとまだ午後の4時台。病院の夕食よりはやい。でも計算づく。朝食はバスの中で5時だったし、昼食は天下茶屋うどん屋で11時だった。これも5時前に夕食にするため。時分時に行ったのでは長蛇の列必至だ。


「てんぐ」で串かつ、どて焼き。新世界は通称ジャンジャン横丁で串かつといえばここ「てんぐ」か「八重勝」だ。

人気で言うと圧倒的に「八重勝」なんだろうけど、ぼくは「てんぐ派」。理由は改装前のこの店に田辺聖子先生と難波利三先生の色紙があったから。この町で難波先生の色紙は説得力ありすぎる。当然、僕は難波作品は全部読んでいる。

チューハイで串揚げを次々に流し込む。レンコンフライ、玉子フライ、タコフライ、ウィンナーフライなどなど。満腹して2700円。いい気持ち。


それにしても、だ。言いたかないが、いつの間にこの町は街中にビリケンさんのレプリカがあふれ、有象無象の大型串かつ店が跋扈するようになってしまったのだろうか。まるでテーマ・パークだ。安全で健全なのは良いが、かつての皮膚にピリピリ来る感じも懐かしいなぁ。

でもこんな看板を見ると、ちょっとホッとする。


そして、散髪屋に急ぐ僧侶の姿にもちょっとホッとしたりするのである。


合掌。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ご意見、ご希望は下の「コメントを書く」欄へ。内密な話はメール