「酒ぶた」の話

そういうわけで、やっと「酒ぶた」の話である。

僕も昔はよくそう呼ばれたものである。ってそれは「酒豚」である。「豚」じゃなくて「蓋」。お酒の蓋で「酒ぶた」

昭和40年代前半の話である。多分、44年くらい。僕は3年生くらい。当時、一升瓶のキャップのコレクションをすることが、子どもの間に、それこそ熱病のように流行ったのである。まさしくパンデミックである。

パンデミック

今は金属のキャップの内側はプラスティック樹脂だけど当時はコルクだった。そのコルク部分を除去した状態で集めるのだ。状態としてはオハジキと同じような円盤状の状態。子どもたちはそれをビニール袋にジャラジャラさせて闊歩したものである。

大関」「白雪」「剣菱」「富久娘」「爛漫」など巨大蔵元が人気があった。また逆に地方の少量生産の玄人好みの蔵元などには目もくれなかった。


どの程度の規模での流行だったのかはわからないが、NHKの報道番組でも取り上げられていたのは確かだ。

ただ集めるだけじゃなくて、ちゃんとゲームがあった。たしか、一対一で勝負をして、自分の酒ぶたで相手の酒ブタの端っこをはじいて引っくり返すと取れる、というようなものだったと思う。楽しそうだった。「両関」の酒ぶたは強い、なんていう定説もあったそうだ。

などと距離を置いた言い方をするのには理由がある。僕は参加できなかったのだ。うちは酒を飲まない家系で、我が家に一升瓶なんてものは無い。父に日本酒を飲むように頼んだが容れられなかった。見かねた母が僕に差し出した一升瓶の蓋には「ヒゲタ」と書いてあった。それじゃダメなんだ!!!

その一方で、家業が居酒屋の同級生などはクラスの帝王だった。うらやましかった。

そんなあるとき事件がおきた。学校の近くの酒屋の倉庫、といっても屋根だけある野積みの置き場から大量の酒ぶたが盗まれると言う事件だ。酒が入っている新品の状態でキャップだけ盗まれたのだから、お店にしてみれば大損害である。木箱にいれて横に積んである一升瓶のキャップだけ盗んだので、あたり一面は養老の瀧状態だったそうである。おそらく下戸の家の子どもが犯人と思われる。僕じゃないですよ。

流行は随分長く続いた。幼かったので何年にも感じたけど、数ヶ月だったかもしれない。その間、友達同士が集まってもする遊びは「酒ぶた」ばかりである。参加できない僕は手持ち無沙汰でひたすら「観察者」だった。

酒の名前と言うのは難読漢字の宝庫である。旧漢字もばんばん出て来る。豊富に持っている友達はそんなもの読もうなんて思わないんだけど、手持ち無沙汰ですみずみまで眺めて観察して解読した。そうこうするうちに、難しい漢字を読めるようになり、それが三日天下とは言え漢字王となる原因の一つになったのである。