今、再びの神楽坂


今日は苦手科目の克服。公共交通機関の利用の自主トレだ。要は通勤の練習。いきなりラッシュ時は無理なので、日中の空いている時間帯に職場の近くに行ってみようと言うのである。職場にはまだ行かない。いや行けない。会わせる顔、いや会わせる頭がないのだ、金髪だから。


それでもきちんと頭を撫で付けてスーツを着て行った。そうネクタイを締める(できた)、ちょっと窮屈な革靴を履くこともリハビリだ。


10時半過ぎ、駅前の「白十字」でちかごろ評判の「お野菜ドーナツ」と「うさぎクッキー」を買っていざ出発。そうしたらいきなり国立の改札でスイカが拒否られた。そうだ9月13日の夜、国分寺駅から救急隊によって搬送されたのでスイカをタッチせずに改札を出ていたのだ。データ書き換えをしてもらってやっと出発。乗り物には自信が無いのでツレに着いてきてもらった。


中野までは中央線でそこからは東西線神楽坂駅には正午ごろ着いた。


久しぶりの神楽坂。倒れた日、僕が体調の異変に気づいた駅の階段も久しぶり。「眩暈がして、ここの階段に腰掛けて15分くらい休んでいたんだ」とツレに説明。


平日の昼間なのに人がたくさん。観光地としての街づくりに成功しているのがよくわかる。見習いたい。


まずは女流義太夫三味線の鶴澤寛也師匠の稽古場にご挨拶。お見舞いに来てくれたり、ハロウィンのカボチャバケツとかドクロ柄のタオルとかボルゾイのカレンダーとか不思議なものを差し入れてくれたりして支えてくれた。

さいわい稽古場におられたのでドーナツを差し入れして入院中のお礼を述べた。



続いて近くの嵐山光三郎先生の仕事場を訪問。マネジャーの中川さんにご挨拶をと思ってうさぎクッキーを持って門を叩いたら、こんな早い時間に珍しく嵐山先生がおられてしばし歓談。そのうち随筆家の坂崎重盛さんも来られていっそうにぎやかに。ランチにお勧めの神楽坂の美味しいお店を手描きの地図つきで教えていただいた。


嵐山オフィスを辞した後は神楽坂駅前の赤城神社へ参拝。入院中に建て替え工事が完了していた。職場の後輩のナオ姉が僕の平癒を赤城さんに祈願してくれたとメールで教えてくれたのでそのお礼参りだ。おかげさまで歩いてここに来られるまでに回復しました。


そしてこの界隈最大の難所「相生坂」を下り、職場の至近まで。そしてまた坂を登って赤城神社まで戻ったわけだが・・・。うーん、天気がよければなんとかいけるかな。雨や雪が降ったらちょっと厳しいかも。それにしても坂の多い街だなあ。「神楽坂」っていうくらいだからしょうがないけど。


そうこうしているうちにおなかが空いてきた。ランチにしよう。嵐山先生にも寛也師匠にもお勧めのお店を教えてもらったのだけど、それは次回以降のトライアルにしよう。

昼は僕の「第2の職場」でとろうと決めていたのだ。

「出版クラブ会館」。大通りからこの建物へいたる急坂も歩けなければ仕事にならない。メインダイニングの「ローズルーム」で週替わりランチ。豚肉のソテーとカキフライがメインで1500円。ナイフとフォークを使った食事にチャレンジしたかったのだ。それとサラダ・バーにも。どちらも問題無くできた。


その後は「出版クラブ会館」の向かいの光照寺さんをお参り。このお寺は「牛込城」の跡に建っている。この地を治めた大胡氏の堅牢な山城(?)である。坂が峻険なのもうなづける。


神楽坂は観光地である。お土産も豊富。特に猫グッズがなぜか豊富。猫柄のトートバッグ、猫柄のポーチ、猫柄のサイフ、猫型の木鈴、猫模様のポチ袋、そして消え物では五十番の肉まん、勘三郎せんべい、ペコちゃん焼きを買った。


うららかな日だったが、夕方となったらさすがに寒くなってきたので、コートの襟を立ててあわてて帰った。


行って帰って、やっぱりちょっと疲れた。電車のスピードに目と脳がついていけないのが疲労の原因。それと、坂道。ちょっと多すぎるだろう、坂。約30年通っているけど初めて知ったよ。こんなしんどい地形だったなんて。もちろんばっちりいけそうだけど、まだまだ訓練は必要かな。


<こしおれ>


如月に 襟立て歩く 神楽坂