新撰組と国立の関係


昨日の続き。


とは言え、僕はどちらかと言うと新撰組には感情移入できない。多分、子供のころからの鞍馬天狗好きだからと思う。8年前のこの日記でもにも鞍馬天狗について熱く語っている。ま、読んでくれたまい。


ただ、国立においてはそんなことはおくびにも出さない。縁続きの人が多いのだ。


国立には「石田」という町名があるが、これは土方の生地、武州石田村の飛び地である。もとより多摩川を挟んだとなり村であるし。そしてそこには土方さんというお宅ががたくさんある。なかには「土」の肩に「`」のついた「土`方」さんもいらっしゃる。


土方歳三が若き日、親戚の店でクスリの行商をしていたエピソードはよく知られている。薬屋さんの子どもなのね。唐澤俊一先生と同じ。


その店は「石田散薬」。つまり石田散薬の行商をしていたのである。


ここで昨日の続きになるのだが、「歳三もなか」。このデザインは「石田散薬」の通い函を模したものであるそうな。



なるほど確かにそのようにも見える。


で、その「石田散薬」はご一新後まで続くのだが、明治の頃には「保寿丸(ほじゅがん)」という薬が作られていた。文字通り「寿命を保つ」、つまり万能の健康薬だったわけだ。


そして時代は下り大正になって、石田散薬の土方家の親戚筋に生まれた男児に「保寿丸」にちなんで「保寿(やすじゅ)」という名がつけられた。長寿と永遠の健康への願いをこめて名づけられたこの男児、なんと関頑亭先生なのである。本名・保寿(やすじゅ)。


本日の国立豆知識でした。


※僕は人の話を端折って聞く悪い癖があるので、事実関係はかなり怪しい。他の人に話す前に、郷土資料館、たましん歴史資料室等で確認してから話すようにね。


<今日の一句>


千歳(せんざい)に 健やかなれと 燕の子


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