今日は6時過ぎの電車で出勤したのだが、西国分寺から座れてしまった。西国分寺は武蔵野線への乗換駅なので、時々こういうことがある。特に朝早いとき。武蔵野線沿線は朝早い職場が多いようなのだ。
ところで、僕も中央線沿線に住んで長い。その中で西国分寺は特別の駅だ。どう特別かというと、唯一、出来たときを覚えているからだ。他の駅は物心ついたときにはすでにあった。
1973年の4月1日が開業である。その日、僕たちは友達同士で旅行に行く出発日だった。
静岡県に同級生数人で。小学校の卒業旅行だった。自分の小学校卒業&中学入学だから間違えようがない。
「今日から西国分寺駅が出来るんだよな」
と言いながら、国立から登りの中央線に乗った。
西国分寺は隣の駅である。あっという間についた。ドアが開き、当然ながらみんなでとりあえず降りてみた。別段変わったことはなかったので、ドアが閉まる前にまた列車に乗った。
とりあえず不平をいう性質の僕は、「国分寺が遠くなって不便だ」と不平を言った。国分寺に行く用事などないのに。
ところで、武蔵野線開業と共にひっそりとその歴史に幕を閉じた路線があった。
それは下河原線。通称「ジャリ鉄」。本当にかつては「東京砂利鉄道」という正式名称だったそうで、文字通り多摩川の川砂利を首都圏に運ぶのが目的の路線だったようだ。
国分寺と東京競馬場前を結んでいた。東京競馬場前。当時、東京で一番長い駅名だった。
この路線にはプールに行くときによく乗った。
国立は昔も今も貧乏な町で、当時は清化園プールという貯め池みたいなセコい、もとい「ささやかな」プールがあるだけだった(今はそれすらない)。ところがお隣の府中市はギャンブル場も大企業の工場も多く、豊かだった。
「行き倒れるなら這ってでも府中へ」
と言われていたほど。豊かな府中市には大きな滑り台や流れるプールもある「総合プール」というのがあった。そこに友達数人と通っていたのだ。
だから下河原線と聞くと夏休みの高揚感、友達と連れ立ってプールに行くワクワク感がよみがえる。
ところでこのプール、府中市民は50円で他市は100円。炎天下、行列に並んで50円で入った。あくまでセコいのである。
あるプール帰り、東京競馬場に向かう道で、道路わきの溝に落ちている親父がいた。
酔っている。そして引っ張りあげてくれ。という。
怪しいと思った僕は友人たちを促して、無視して立ち去った。あとで「冷たい」と批判されたが、大人も通っているのに小学生に「引っ張りあげてくれ」はやっぱり怪しい、と今でも思う。
そして、中学進学と同時に下河原線が廃止されたのは上に書いたとおり。もっとも武蔵野線が、ほぼ下河原線に沿う形で新設されたので、武蔵野線でもプールには行けた。
行けたんだけど、残念ながら武蔵野線には下河原線にあった「冒険に向かうワクワク感」がなかった。
国分寺駅の下河原線ホームは使われないまましばらく存在していた。閉鎖されたままペンペン草が生えたそれを懐かしくも淋しい思いで眺めながら通学したのは、3年たった高校生からだった。
そのホーム、国分寺に駅ビルが出来るときになくなった。20年ほど前か。
先月から中央線の国分寺・三鷹間が高架化された。武蔵小金井、東小金井あたり、高いところを走る電車の窓から、ついちょっと前まで使っていたホームが見える。
すでに朽ち始めている気がしてならない。
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