谷保天満宮「あじさい」まつり


午後から谷保天満宮へ。そう言えば「あじさい祭り」が始まっていたよなぁ、と。


ちょっと早すぎた。まだあまり咲いていない。盛りにはこの築山に紫陽花が咲き乱れ、それは見事なのだが残念。



ありがたい絵馬を発見。北島三郎さんは、八王子にお住まいなのに毎年ここ谷保天満宮に紫陽花の株を寄贈してくださるのだ。



帰り、社務所に寄って権禰宜の菊池さんと雑談。


その中で聞いたのだが谷保の天神様の開祖、津戸三郎為守の物語がなんと近松門左衛門によって浄瑠璃になって江戸期には盛んに演じられていたというのだ。もちろん近松全集にも載っているという。


これは面白い話を聞いた。そんな面白いエピソードを放っておく手はないでしょう。まさに「奇貨おくべし」。プロモーション案の10や20なら瞬時に思いつく。僕でよければいくらでも手伝いますよ。国立には約7万3千人くらいの人口があるが、「天満宮の縁起」と「近松」の両方に通じているのは、多分僕ぐらいだろうから。


う、うそですよぉ、ハッタリだってば。現にうちに帰って父にその話をしたら、すでに近松全集の1巻を取り寄せて楽しそうに読み込んでいたもの。



夜、雷雨。



雨音を聞きながら、以前、天神様で、嵐山光三郎先生の肝いりで天神句会が開かれた時のことを思い出した。



もちろん僕も参戦したのだが、その日の兼題は「紫陽花」だ。僕が詠んだ句は、


紫陽花の手毬や夜半の雨に揺れ


というものだった。


紫陽花の花がよく手毬に喩えられるのはご存知の通り。それが雨に揺らされる図を詠んだ物なんだけど、雨降りの晩は暗い。雨に揺れる紫陽花など見えやしない。


つまり「幻視」なわけですよ。「奥の細道」において芭蕉が駆使したテクニックですよ。雨の中でゆれる紫陽花の花を、つまり「見えない花」を夜、寝床の中で「幻視」したわけですよ。


ま、喜んでいるのは当人だけであまり得点は入らなくて若干へこんだのだが、その中で、A市議が選んでくれたのを奇貨としたのだった。


今日は紫陽花の花を見ることが出来なかったが、今宵も雨音を聞きながら、紫陽花の手毬を幻視することとしよう。<今日の一句>


紫陽花の 手毬や夜半の 雨に揺れ


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