道行 神楽の路地

そういうわけで終演後8時50分、楽屋口で待ち合わせ。

先ほどのキリリとした裃姿とはうって変わってシックな茜色の着物姿の寛也師匠。手にはその艶っぽいスタイルとはアンバランスなジェームス・ボンドが持ちそうな黒のアタッシュケース。中には三分割した太棹三味線が入っているという。布の袋かなんかに入れて持ち歩くのかと思っていたがこれが普通らしい。なんだ、寛也さんの後ろを三味線を担いでついて歩こうと思ったのに。人に訊かれたら、「佐助でございます」と静かに答えるとシナリオも決まっていたのだが・・・。

通りに出てタクシーを拾い、坂崎さんのホームグラウンドの神楽坂へ。

ここでお二人のことを説明しておこう。

坂崎重盛さんはエッセイスト。散歩ブームの火付け人である。現在、朝日新聞(東京では水曜日夕刊)に連載している「TOKYO・老舗・古町・散歩」が大好評でひっぱりだこの超売れっ子だ。


 また珍コレクションの数々でもしられ、特にひょうたん、ステッキ、東京本の蒐集は秀逸。その内容は名著『蒐集する猿』に詳しい。


そして、義太夫三味線の鶴澤寛也師匠は、この日記ではすっかりおなじみの人。キャラが立っているのでついネタにしてしまう。僕とは学生時代からの友達だ。

昔は「娘義太夫」と言った女流義太夫の三味線奏者で義太夫協会の理事でもある。偉いのだ。そして小平にある某T女子大で幾何を専攻した才媛である。


神楽坂を登りかけたあたりで車を降りて、しばし散策。一見さんにはとても入れないような路地をつたってついたのは、坂崎さんの馴染みの居酒屋の「お腹袋(おふくろ)」。亡くなった柳家小さん師匠ゆかりの店で、店の名ものれんの字も小さん師匠によるものという。常磐津の師匠である常磐津千代太夫さんが経営する店だ。

そう聞いたとたん寛也さんの全身から緊張がほとばしる。「じゃお行儀よくしなくちゃ」。

お酒の肴がすごく美味しい店だ。さりげない料理がみな美味い。山芋の塩焼き梅肉のせ、ポテトサラダ、コロッケがめちゃうま。タコの刺身も新鮮だ。初孫の熱燗もついつい進む。

お酒も肴も美味しく、話も話題豊富なお二人のこと、大いに盛り上がった。

義太夫の文句にも凄いのがありますね、さっきの?道行?でびっくりしちゃいました」

と坂崎さん。

「そうでしょう? ドキっとしちゃいますよね」

と寛也師匠。

  昨日の日記に僕が、「語ってる内容はまるでわからない」とカミングアウトした箇所だ。こういうところに教養の差が出てしまうな。

帰り際、坂崎さんが経営者の常磐津千代太夫さんに寛也さんを紹介した。厨房から出てきた千代太夫さんは、ニコニコしながら、

「ええ、義太夫の三味線の方でしょ。後姿でわかりました」

とおっしゃる。わかるものなのだなぁ。不思議なものだ。寛也さんも、

「やはり、わかっちゃいますよねぇ?」

とコロコロと笑う。おかみさんも坂崎さんも笑っている。わかってないのは僕だけみたいだ。


店を出て時計を見ると11時近い。でもまだしゃべり足りずにもう一軒。またまた迷路のような路地をつたって連れて行っていただいたのは一軒家のワインバー。入口に立つと、着物姿の女性が切り盛りしているのが見える。

「あら、芸妓さんだわ。緊張しちゃうな、お行儀よくしなくちゃ」

とさっきと同じようなことをいう寛也さん。

そう、現役の芸者さんが経営するお店なのだ。もちろんここも坂崎さんのなじみのお店。坂崎さんがチョイスした「VOSNE ROMANEE」(おいしい!!)を一本空けたところで終電時間がせまり、解散となった。

こうして江戸—東京の粋を体現する二つの才能、二つの知性の出会いが実現した。

こういうのって本当に楽しいな。僕自身は何の能力も才能も教養も無いのだけど、こういう出会いに介在(いっちょかみ)できるのはうれしい。そしてついでに美味しいお酒も呑める。嗚呼しあわせ。